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アダルトショップ店長・仁徳

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人間の葬儀こそ、我々に人生の意味を伝えているのだ。
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

今回は、僕の父方の親戚に不幸があり、鹿児島県まで行っていた。
僕自身は、その亡くなった親戚の人とは、2~3度過去にお会いした程度ではあったが、母親がなくなった時に、大変お世話になって為、今回は同居している妹と、二人で、鹿児島にはるばる参加の為に行ってきた。久しぶりに見た、桜島は雄大で、素晴らしい風景ではあったが、今回は色々な事情により、父親が参列できなかった事が非常に悔しく思った次第であった。


それでは、今回の僕のテーマは、人間の最後の瞬間の荘厳な儀式である、【 葬儀 】をテーマに色々な角度から分析し記事を書きたい。

【 葬儀 】…。今回の親戚の葬儀は、少々、昔の風習やしきたり等があったが、葬儀という世界は、本当に【 宗派 】や、その【 遺族の関係 】で、色々な状況があり、実にその葬儀の光景は様々であると僕は思っている。

僕も、家出をした20代から今日に至るまで、色々な葬儀にかかわってきたが、その中でも、僕が一番悲しく、心から崩れ落ちた葬儀は、やはり数年前に亡くなった【 実母 】の葬儀と、離婚後に交際していた、結婚を前提として当時交際していた彼女の突然の死は、本当に衝撃的であった。その交際していた時は、僕は【 夜勤 】の仕事をしていたが、仕事から帰ってきた朝、自宅の駐輪場に、原チャリを置いて、自宅のドアを開けた瞬間、玄関先に彼女が倒れており、彼女の表情はすでに紫色に変色し、救急車を呼んで、救急車の車内で、救急班が本当に献身的な対処を施してくれたが、すでに自宅の玄関を開けた時の時点で、【 手遅れ 】の発見であったのが非常にあの時は悔しかった。

死因は、【 くも膜下出血 】であった。数日前から、僕に【 頭痛 】がすると彼女は僕に訴えていたが、頭痛薬を飲むとすぐに症状が治まるので、僕も彼女もただの頭痛だと思っていたが、その病魔は、刻一刻と、彼女を蝕んでいたのを、僕が気がついてあげる事ができなかったのが、今でも思いだす度に胸が苦しくなる。この二つの【 葬儀 】そして、その瞬間は本当に僕は男泣きで崩れ落ちた。葬儀が終わっても、僕は【 それ 】を引きずってしまうタイプの男なので、【 元気 】な気持ちで生活に落ち着くまで、本当に長い時間がかかってしまったが、今は、女性との縁もまったくない状態なので、正直な話、ちょっとは寂しいが(笑)、この生活も、それはそれでまたいいのかも知れない。

これは、世界の【 葬儀 】の初の歴史ではあるが、現在、【 発見 】されている【 歴史上初めての葬儀跡 】と言われている物が、【 イラク北部 】にある【 シャニダール洞窟 】で見つかった…というのが僕の学んだ過去の記憶の中にはあるが、間違っていたら申し訳ない。この洞窟の中には【 約6万年前と推定 】される【 ネアンデルタール人の骨 】が見つかっており、その周辺には、この洞窟から見つかるはずの無い、【 花粉 】が見つかったと報告されている。これは、死者を弔うために【 花を死体の周りに添えた 】と解釈している…との記事を昔新聞で読んだ覚えがある。

葬儀の概要を書きたいと思うが、ごく一般の【 認識 】の世界では、葬儀の様式には、それを行う人たちの【 死生観 】【 宗教観 】が深く関っており、宗教の違いが、そのまま【 葬式の様式 】の違いになる。また葬儀は【 故人 】のためだけでなく、【 残された者のため 】に行われる、という【 意味合い 】も強くあるらしい。残された人々が人の死をいかに【 心の中 】で受け止め、【 位置付け 】、そして【 処理 】するか、これを行うための【 援助となる儀式 】が【 葬儀 】というものであるらしい。その意味で葬儀は、【 宗教が文明に発生する以前 】の【 旧石器時代 】から行われてきていた【 宗教的行為 】であるといえると言えよう。ただし、【 日本の葬儀 】で連想される【 仏教との結びつき 】は、日本(アイヌや琉球を除く)独特のモノであり、その他の【 仏教国 】では、【 僧侶 】は葬礼に直接関与しない。中世前期に律僧や時衆が、【 庶民の仏教典礼 】として促進したことに始まり、定着をみたのは、寺請制度のできた【 江戸時代 】からと言われている。

また、日本における葬儀の【 慣習 】においては、【 通夜 】は【 古代の殯(もがり) 】から発している。これは、告別式の【 前夜祭の形態 】をとっていると言うことであるが、誰かが寝ずの番をして(交代でもよい)、夜明けまで灯明や線香の火を、絶やさないようにしなければならないという、【 魔除けの意味がある 】という事らしい。また近年では、消防署の指導などにより、式場では【 夜間の火 】は焚かないよう指導が入ることもあり、都市部の式場では夜通しではなく、【 半通夜 】と呼ばれる形態で、夜は遺族が帰ってしまう場合もある。

そして、火葬場に向かう道と帰り道は【 同じ道 】を通らないと言う事らしいが、今回の僕が参列した、親族の葬儀は、その事を親戚の方から僕と妹に告げてきた。一本道で難しい場合であっても、【 可能な限り 】同じ道を通らないように努力しなければならない。埋葬した【 死霊が付いて来ない 】ようにするためであるらしい。葬儀終了後に【 振り塩 】と呼ばれる【 清めの塩 】をやった経験の方々も多いと思うが、これは【 神道由来の慣習 】であって、死を【 穢れとみなさない 】仏教の教義に【 反する 】と考える意見もあり、元来これを行っていなかったと言う事だ。


上記のこの内容は、【 浄土真宗を中心 】に、近年では行われないケースもあると言う事らしい。遺体を安置する場合には、遺体の【 胸の上 】に【 魔除け 】として【 刃物 】を置く。これを【 守り刀 】と呼ぶ由来は、【 武士の社会 】で、刀によって【 魔を斬る 】、といった意味や【 魔物の使い 】とされていた【 猫 】が光り物を嫌がるので、刀を置くことが【 魔よけ 】とされた。一般に【 告別式 】は【 友引の日 】を避けるが、これは俗に【 友を(死に)引かない 】よう配慮するためとされるらしい。ただし、【 元来六曜 】は、仏教とは関係がない。【 賭け事 】や【 勝負事 】から入って来ており、友引とは【 勝負事で友人と引き分ける 】というのが意とされ、陰陽道との【 混淆 】に由来している。

ゆえに、【 友引の日 】に告別式を【 行わない風習 】は、【 迷信 】と考えられる。火葬場も年末年始【 のみ 】が【 休業日 】となっている所が増えて来ている。なお、墓地など【 埋葬する場所 】まで送ることを、【 野辺送り 】と称することがある。遺体を安置すると、そこに御供え物として【 枕飯 】や【 枕団子 】を供える。枕団子は米の粉(上新粉)などを丸めて作ったもので、数は【 地域によって差があり 】、六地蔵、六道から【 六個 】とする説と、13仏などからとった【 13個 】とする説がある。亡くなった日から一個づつ増やして【 四十九日まで 】お供えし、【 49個 】飾る地域もある。枕飯はご飯を御茶碗に【 山盛り 】にして、御箸をさして飾る。この風習の光景は、みなさんもテレビや葬儀の現場で見たことがある人がけっこう多いと思う。

また、【 神道での葬儀 】は【 神葬祭 】と呼ばれる。神道では【 死を穢れたもの 】と考えるため、聖域である【 神社 】では葬式は決して【 おこなわず 】、故人の【 自宅か葬斎場 】で行うことになる。現在の形の神葬祭は、江戸時代に【 儒式葬 】をもとに考案されたものである。式の際には、中央の祭壇の【 脇に 】遺影を置き、祭壇の奥に置かれた棺の後方に、【 銘旗 】と呼ばれる、故人の名前が書かれた旗が立てられる。そして、その周りに【 灯明 】【 榊 】【 供物 】などをあしらえる。

式の大まかな流れは、まず【 神官 】が遺族と参列者および会場を祓い清める。そして【 神職 】により祖霊に【 供物をお供え 】をする。神職は祭詞を【 奏上 】し、故人の生前の業績を述べ遺徳を偲びつつ、祖霊となって遺族を【 守ってくれるよう 】願う。参列者は【 玉串 】をささげて、【 二拝二拍手一拝 】を行い故人を偲ぶ。このとき【 拍手 】は、【 音を立てない 】『 しのび手 』で行うのが正しい儀式の内容であるらしい。

また神道では、墓所を【 奥津城、または、 奥つ城(おくつき) 】と呼び、墓石にも『 ○○家之奥津城(奥都城) 』と表示している家が多い。位牌を祀る場合は、仏壇の代わりに【 御霊舎(みたまや) 】を置いている。近年の葬儀はほとんどは【 仏式 】で営まれており、これは、【 江戸時代 】に【 寺請制度(てらうけせいど) 】が始まり、仏式による葬儀が一般化した事による。一方で江戸時代には、【 日本古来 】の葬儀のあり方を見直す運動が起こり、【 明治 】になって【 神道による葬儀 】を行うことが一般に認められるようになったとされている。

ここので、日本の葬儀の習慣や儀式を述べてきたが、まだまだこの他にも葬儀の儀式の【 仕方 】には沢山ある。葬儀に関する様式を自宅にある専門書で調べてみたが、葬礼の様式として、【 葬儀 】【 密葬 】【 家族葬 】【 友人葬 】【 市民葬・区民葬 】【 福祉葬 】 【 社葬 】【 国葬 】【 生前葬 】がある。

遺体の処理法の埋葬の仕方には、【 鳥葬 】【 土葬 】【 風葬 】【 洗骨 】【 水葬 】【 火葬 】【 宇宙葬 】があり、この宇宙葬に関しては、当初はSF作品等における架空の様式と思われがちだが、1997年に世界初の【 宇宙葬 】が実現され、ジーン・ロッデンベリー氏らが【 宇宙に旅立って 】葬儀の埋葬が行われたのが初である。 また様式にある【 友人葬 】に関しては、宗教団体である【 創価学会 】は、これを率先して現在は実行している光景は有名な話である。

まだまだ、この【 葬儀 】に関する事は、納骨の事とか色々あるが、文字数の制限で、ここまでしか今回は書けないが、人間はいつかは死んでしまう…。しかし、今回の親戚の葬儀でも思ったことではあるが、葬儀に参列、そして出席する方々を拝見しても、その人間の死に至るまでの【 人生 】には、すべて【 意味 】がある事を深く実感した次第である。また、けして、【  】と呼ばれる【 人間 】は、一人もいない事を改めて知った思いがした…。

今回も最後まで読んでくれて、本当にありがとう。

だんだん暑さが少しずつではありますが、和らいできましたね。この時期こそ油断大敵なので、健康管理にはお互いに充分に気をつけて、共々に生活をしてまいりましょう。

じゃぁ、またね! (^○^)/






テーマ:悲しい思い出 - ジャンル:アダルト


人間の心は常にドロドロな汚れにまみれているのか!?
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

いや~しかし暑い・・・。
この二日間は、暑さでバテしまって、仕事が終了し夕飯を食べたらそのままグロッキーの状態が続いてしまった。(泣) 皆さんは、大丈夫であろうか?

それでは、今回の僕のテーマは、現代社会人の根底にいつも潜む【 醜い心 】をテーマに、今回も色々な角度から分析をし記事を書きたい。

【 醜い心 】・・・。僕の記憶にある限りでは、この16~17年は本当にこの人間の【 醜い心 】に悩んできた。人はよく【 腹黒い 】とか【 心根が悪い 】とかたまに耳にする時もあるが、折々の場面で【 その人の本音 】がありありと表情にで、そして【 目つき 】にも出るときがある。(笑)

本当に嫌な瞬間と場面であると思う次第である。だいたいこう言う感情が出る時というのは、対外【 相手 】には【 それ 】があり、【 自分 】にはそれが【 ない 】ものをまざまざと【 見せつけられたり 】、【 自慢 】される事が起きた時、それを【 縁 】として、自分の心の【 感情 】の中に、その【 卑しい心 】がグイグイと自分の心のブレーキを【 破壊 】するように【 変な感情 】が頭をもたげてくる。まあ、これは俗に言う【 ひがみ根性 】というものであるが・・・。(苦笑)

そう言う中、男性の場合においては、【 我慢 】が効かなくなると大抵は【 喧嘩 】という世界が勃発する。(笑) 僕も前回辞めた【 バイト 】では、仕事と人間関係があまりにも【 過酷 】すぎる環境のせいか、毎日のようにこの人間関係での【 卑しい心 】に悩みに悩んだ4年半の生活を送ってきた。(苦笑)

また女性の場合は【 そのような条件下 】に【 縁 】をすると、きまって陰で【 悪口 】や【 愚痴 】、そして【 噂話 】等の【 風 】が早くてその日、遅くても次の勤務では大抵耳にする事が多かったように思える。まあ、それをサラッと右から左へ流せればいいのだが、ほとんどそんな相手の【 変な自慢話 】や【 虐め的な発言 】を聞いたり、または、されたりすると。人は誰でも必ず心の底で【 根深く 】思う時が多々あると言っても過言ではないだろう。

また前の職場では、大抵の人間が【 苦しい生活にさいなまれていたり 】【 どうしようもなくダラシナイ生活をしている 】とか【 意味ありな人生 】の方々が多く働いていた職場だったので、そういう環境下の世界で仕事をすると、変に【 息が合うメンバー 】だけの【 仲良しこよしグループ 】ができ、その【 クループ 】が、変に職場の【 責任者 】的立場の人間にヨイショを試みて、その【 呼吸 】に巻き込もうとするのか(苦笑)、いつしかその責任者もその【 仲良しこよしグループ 】の【 土俵入り 】になった時、その時から【 まじめな方々 】は【 疎外 】されていく状況下に追い込まれていったように思える。

僕の目には一生懸命に仕事をがんばっているように見えても、その【 仲良しこよしグループ 】の【 仲間入り 】した責任者も、そのメンバー達の変な【 評価 】に振り回され、結局は【 まじめにがんばっている人 】こそ変な【 悪口 】や【 陰口 】を裏で言われ、現実の【 実績 】や【 功労 】が認められない現実が、実際にこの現代社会の中に【 息づいてる 】こと事態が、僕にとっては非常に不愉快極まりないと思う次第である。

確かに、正確にはその【 がんばっている人 】を一生懸命【 観ている上司 】も中には存在する時もあるが、現代社会は、本当にそれらは【 少ない現状 】であると僕は思っている。また、今の時代は、【 変に保守的人間 】が多い時代なのか、その【 真面目な縁 】に入りたくなく、逆に【 仲良しこよしグループ 】の集合陣の、ある種の【 派閥 】に入ったほうが【 徳 】とか、【 無難 】と考える人が多い時代なのが本当に悲しい。

また、そういう時に限って、その【 仲良しこよしグループ 】の方が【 仕事 】が変に出来るメンバーが多く、【 ウサギと亀 】ではないが、【 マイペースの地道型 】のタイプ人間は、変に【 隅 】に追いやられる現状もよく考えると僕は【 不自然 】に思っている。僕は【 職場 】においては【 全員が人材 】だと考えるタイプの人間なので、職場の中で【 偏見な意見 】【 筋違いの判断 】は、【 潔癖 】なほど、心の中で僕は【 反発 】を覚えてしまう。

そう言う現代の【 死角 】こそ、もっと【 利益 】以上に考えなくてはいけない【 問題 】なのではないかと僕は思う次第である。確かに、現代社会の【 生き残り 】の戦いは、【 非情 】なほど【 残酷 】な結果をがんばっている人々に与えてしまう時がある。地道にがんばってきた人ほど、その【 功績や実績 】が認められず、いつまで経っても【 隅 】から【 脱皮 】できない【 誤った判断 】こそ、僕は【 死ね! 】と思ってしまった時が過去に多々あった。(苦笑)

しかし、大抵、僕がそういう風に思っている時ほど、相手も【 僕たちのグループ 】を【 うざく 】思っている時がほとんどのようで、また【 相手 】も【 お前らこそ死ね! 】と思っているようだが、最悪な時はそれを【 まともに口に出して 】、『 早く消えろよ・・・ 』と言われた時は本当にショックであったが、【 真面目で何が悪い・・・ 】と思う次第である。

まあ、これは【 規律 】があまり【 正されていない職場 】の話なので、しっかりされた【 会社 】こそ、【 表面 】には【 浮上 】しないものの、【 裏 】では、やはり同じような事が繰り返されている現実は変わらない・・・。

そういう【 環境下 】に僕は4年半いた訳だが、その中で人間として【 学ぶ事 】は意外とたくさんあるのには、実に【 不思議 】な感覚を覚えた。僕は過去の記事にも書いたが、僕は人生の苦しい経験から【 常に一歩 】ほど【 心の距離 】をおいて相手に接しているせいか、そういう【 感情 】や【 弱肉強食的 】な状況に流されている【 職場 】ほど、【 人間の感情 】や【 行動 】、そして【 相手の心理 】を通して、【 仕事の改善点 】をたくさん発見する事ができたり、また、【 自分の人生 】をしっかり見つめられたりする事が、自然とできるようになった。

しかし、これは【 荒廃した現場 】から【 健全な判断と精神 】を養えた【 良い例 】の方であり、この環境下に【 流されやすいタイプの人材 】ほど、よ~くその本人を【 人間ウォッチャー 】すると、現実の生活は、見事に【 酷すぎる 】というメンバーが【 ほとんど 】だったのは非常に悲しい現実だと僕は思った。

そして、【 どうでもいい 】ようなタイプの人間ほど、【 考えがずさんでいたり 】するのも【 見逃せない 】【 人生のお勉強 】でもあったと思う。とにかくそう言う環境の職場にいると、【 人の出入り 】もひどく激しく、半年経つと、ベテラン陣以外は、皆【 新顔 】になる職場だったので、毎年、年がら年中、【 最初から同じ作業工程 】をその【 新人 】のメンバーに教えていたように思えてならない。(苦笑)

また、毎日酷く【 叱咤 】をされる職場だったので、変に【 人間恐怖症 】になるのも止む終えない事実なのではあるが、その【 相手の叱咤 】が【 半分 】パフォーマンスに気がつくまで【 2年 】もの歳月を必要としたが、365日も人間は【 叱咤 】され続けると、いい加減、【 人間関係 】など、どうでもよくなってきて、いつしか自分を守るだけの【 保守的人間 】になっていくのも現実的な話だ。

また、その叱咤が【 慢性化 】してくるので、【 真実 】が見えずらくなってくるのも事実な話だ。しかし、僕はそういう環境下の中で、それを【 チャンス 】ととらえようと、常に努力してきたが、結局それが【 意思疎通 】をしたのが、【 たった一人の青年 】だけであった。その【 青年 】こそ、実は絶対に【 信用 】できる【 人間なんだ・・・ 】と知ったのも、その【 職場 】のお陰かもしれない。

確かに、【 人間 】は皆、自分の生活を豊かにしたく、日々、毎日汗水たらし働いている。しかし、現代社会の【 環境 】や【 状況 】を考えると、【 お金よりも大切なモノ 】も発見できると同時に、【 同じくらいの質と量 】の【 卑しき心 】も育てられてしまうのも、現実の実態と言っても過言ではないだろう、と僕は思っている。

人は誰でも、【 感情 】に流されたり、【 人の幸せ 】を【 羨ましがったり 】、時には逆に【 恨んでしまう 】事も多々ある。しかし、その中で絶対に忘れてはいけない事があると思う。それは、相手に対する【 優しさ 】や【 思いやり 】の世界だ。その中で最も大切な事は、【 相手を許してあげる 】という事ではないかと思う。どうせ、一日を苦しく生きる事が多いなら、その分、【 笑顔 】を絶やさないで生きていく一日の方が【 徳なのだ 】と言う事を、僕はこの職場から本当に実感として感じる事ができた。

よって結論に移りたいと思うが、現代社会こそ、この【 卑しき心 】が充満する中で、本当に大切な事は何か・・・。それは、相手に対する【 同情 】はほんの【 少し 】で良いと思っている。それよりももっと大切な事は、【 相手も心をもつ人間なのだ 】という、その心の中に、自分が【 成長できる因 】がたくさん眠っているという事実を知ったとき、それこそ人間が初めて【 人生 】を知る【 第一歩の時 】なのだ、と言う事を今回の分析ファイルの終止符としたい。

今回も最後まで読んでくれて本当にありがとう。


今回は、ちょっと色々な事情により期間があいてしまいましたが、連載小説・【 天使の指先 】の更新が明後日の夕刻に行われます。楽しみにしている人はもうちょっとまっててくださいね♪

じゃぁ、またね! (^○^)/






テーマ:オタクなお勉強 - ジャンル:アダルト


人間の素直な心はすべては小さな所から全部が始まっている♪
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

今回は、本当であったら他の【 テーマ 】を準備していたのだが、実は、僕が登録している【 お気に入り 】のブロガーの女の子が新しく更新した【 ポエム 】を読んで、僕自身がすごく感動をした【 詩 】を載せていたので今回は急遽テーマを変更した次第である。人は、ちょっとした【 縁 】や【 きっかけ 】で、人生を大きく変えていく瞬間が起きる時がある。その女の子はまだ10代の女の子ではあるが、僕が判断するには、非常に【 ピュア 】な心の持ち主と思っている。

人間は大人になると、少年少女の頃の気持ちは少しずつ忘れてしまい、いつしか【 汚れた 】心の視野で社会を見つめ、人と接するようになってしまうのは、非常に残念な【 性 】だと常々僕は思う時がある。今回は、その女の子の【 詩 】から非常に【 大切な物 】を学ばせて頂いたと自分は思っている。今回、僕は、その女の子に心から感謝をしたいと思う。


それでは、今回の僕のテーマは、現代の民衆の心の底流で、いつの時代にもその灯火を保ち続けている【 ポエム 】をテーマに、自分の知識の知る限りの知恵を絞りつくした分析ファイルの記事を今回は書きたい。

【 ポエム 】・・・。つまり一般に言う【 詩 】の世界であるが、実際のところ、僕は【 詩 】の世界はあまり【 縁 】がない男である。確かに活字を書くのは得意ではあるが、人の心に届く文章はまだまだ未熟だと自負している。今回は過去に学んだ【 記憶 】をたよりにこの記事を書くので、間違っている記載をしてしまった場合は許していただきたいと思う。そこの所は、どうかご了解願いたい。

最近では、本当になくなってしまったが、10代半ばから家出をする20歳未満の僕が学生だった頃、これは今でも変わらない事ではあるが、よく本屋や図書館で時間を見つけては坦々と読書をしていた記憶が、鮮明に今でもこの脳裏に残っている。またこの時期の夏場は特に、涼しい図書館で休みの日などは朝の開館と同時に夕刻の閉館まで、ずっと本を読んでいた記憶がある。その中で、一時ではあったが、【 川柳 】にハマリ、この【 詩 】の事を日本史やら専門誌を、とことん読破していった時期があったのを今から考えると本当に懐かしい・・・。

これは記憶を頼りに書いているので、忘れてしまっている所も今ではあるが、【 詩の世界 】を【 形式的に分類 】するれば、下記の数だけあったと記憶している。

【 定型詩 】【 和歌 】【 短歌 】【 連歌 】【 俳句 】【 川柳 】【 琉歌 】【 四行詩 】【 漢詩 】【 古体詩 】【 古詩 】【 楽府 】【 今体詩 】【 絶句 】【 律詩 】【 自由詩 】【 散文詩 】【 韻文詩  】【 劇詩 】

の分類があったと記憶しているが、まだ数個ほどあったようにも思える。また、【 描写による形式の分類 】をすれば、【 抒情詩(叙情詩) 】【 叙景詩 】【 叙事詩 】に分かれたと記憶している。

一般的に、世間で愛好されているのは、【 和歌 】【 短歌 】【 俳句 】【 川柳 】【 自由詩 】【 定型詩 】なとが、一般的で【 主流な詩 】だと僕はそう思っている。その中でも、この近年は、【 川柳 】は、よく目立った【 詩 】なのではないかと確信する次第である。この川柳は、各雑誌で川柳版の特集があったり、最近では、某メーカーの缶コーヒーや缶ジュースや、お菓子の箱の裏側、ポテトチップスの袋の印刷に、この【 川柳 】がよく記載されている事がよく目立つ。

【 川柳 】とは、五・七・五の音を持つ日本語の詩の一つであるが、その特徴は、【 口語が主体 】であり、【 季語や切れの制限 】もない。字余りや句跨りの破調や自由律もみられる時がある。また同じ音数律を持つ俳句とともに、【 連歌を源 】として【 付け句 】からあらかじめ用意された、七七を省略し、五七
五として独立したと確か記憶している。江戸時代の前句師の柄井川柳が選んだ句の中から、呉陵軒可有が選出して『 誹風柳多留 』(はいふうやなぎだる)を刊行し、盛んになったことから、【 川柳 】という名前で呼ばれるようになったと記憶している。

また、これは自分が読んでいる新聞から読んだ、最近の記事に書かれていた事ではあるが、ここ数年、【 愛好家 】の中で、【 近代詩 】と呼ばれる【 詩 】も少しずつではあるが、流行りつつあるそうだ。【 近代詩  】とは、【 伝統的で文語的な定型詩 】では、近代人の自由な感情や意思を表現できないとし、【 日常語 】を用いた【 自由詩 】の事をいうようだが、その内容も【 花鳥風月や英雄譚 】から【 脱却 】し、より【 日常的で社会的 】なものが好まれるようになったとの事である。

欧米では【 シェイクスピアやダンテ 】など、ルネサンスにまでその萌芽を辿る事が出来るが、日本では【 明治期 】から、その影響が広まったそうである。また、【 日本の近代詩 】は、厳密な内容区分より、【 時代的区分 】の意味合いが強く、【 明治から昭和初期 】にかけての【 詩 】を、【 近代詩 】と呼ぶ事が多いとその新聞には記載されていた。日本語の【 標準化 】と共に、現代日本に広く普及している【 標準語詩歌 】は、この時代に作られたものが多いそうである。そして、【 近代詩人 】として有名な方々は、【 島崎藤村 】【 室生犀星 】【 萩原朔太郎 】【 高村光太郎 】【 立原道造 】【 宮沢賢治 】【 北原白秋 】らが有名な著名であると記憶している。

また、最近では【 現代詩 】というのもたまに耳にする時も増えてきたと実感している。【 現代詩  】 は、【 近代詩の形式主義化や耽美化 】などへの【 反省 】により、20世紀初頭に生まれた詩をさす。【 現象学 】【 実存主義 】に影響を受けた【 哲学的な内容 】や【 性や暴力 】など【 近代詩 】が扱わなかった【 タブーへの切り込み 】、日常とかけ離れた【 特異な言葉遣い 】による【 異化作用 】などが特徴的であるが、欧米ではウィリアム・イェイツ等によって【 創始 】され、日本では第二次世界大戦以後に盛んになったと言われている。その先駆者としては、【 川路柳虹 】が【 代表 】として示される時がほとんどである。

【 現代詩 】は、各詩人詩人によって【 作風 】が大きく異なり、共通するものが少ない【 分散性 】が現代詩の一つの特徴としてあげられるが、あえて【 共通要素 】をあげるとしたら、【 私的性 】が強い事があげられると言えよう。【 近代詩 】が社会的、共同体的な要素が強かったのに対して、戦争という大量殺戮をへた現代詩では自分にとって【 社会とは何か!?】【 思想とは何か!? 】という反省が表面にでて、それは俳諧や短歌の【 写生論 】と結合して、日常の中に【 哲学的深み 】を見出し、それを徹底して自分という【 プライベートな観点 】から咀嚼する、という作業が行われるとい点が大きな特徴と言える。

また、【 近代詩 】によって既に日常言語が手垢にまみれたモノになったため、【 現代詩 】は【 奇抜な言語表現 】や【 隠喩 】に頼らざるを得ず、初期でこそ形式に縛られない、【 独創的な表現 】が頻出したものの、その【 隠喩 】がまた手垢にまみれるにつれ、詩人はさらに【 新奇な表現 】を求めざるをえず、【 現代詩 】は【 難解で尖鋭的 】なものになってしまったと言える。80年代~90年代にかけての、【 ねじめ正一 】や【 谷川俊太郎 】らの【 ナンセンスな詩 】に、その傾向の頂点を見る事ができると僕は思っている。

しかし、これら現代詩の手法もまた、【 形式化 】【 固定化 】してしまい、【 現代人の心情 】からかけ離れたものになってしまったと思っている。【 詩作 】というものは、気軽に行えるものでも、ありのままにでも【 なく 】、【 奇怪で独善的 】な【 詩的境地 】に自己を落とし込まないと書けないという詩の【 矮小化 】が生じてしまったのである。そして、【 私秘性 】【 難解性 】から【 現代詩は生命力 】とも言える骨格を失い、各詩人が孤立して先細るという状態が現れ、それを打破しようと【 集団無意識 】や【 民俗の世界に回帰 】しようという動きが、【 形式的な伝統詩 】を復活させようという動きが、現代のインターネットを利用とした【 コラボレーション 】の動きが見られるが、その行き先は実際の話、【 未明 】であると、僕はそう思っている。

まあ、ここまでずずっと、記憶している【 詩 】の情報を綴ってはみたが、原稿で実際に書いて読むと、本当に【 詩 】の歴史は奥深く、人間は色々な手法や手段を用いて、心の【 何か 】を常に【 表現 】しようと努力して、人間の【 本来の生き方 】を【 詩 】の世界にあてはめて、我々は今日まで栄えてきたと実感し確信する次第である。

活字の世界から、人の心・・・正確にはその本人の【 本心 】を汲み取るのは至難の業と言えるかもしれないが、【 詩 】の【 本質 】には、人間の【 本当の願い 】が無限に詰まっていると、僕はそう皆様にお伝えし、今回の分析ファイルの終止符としたい。


最後に、【 ピュア 】な女の子へ一言贈りたいと思う。
そのままの心で、大人になれたら、君は本当に素晴らしい【 女性 】になり、この先、たとえどんな前途多難な人生が待っていようとも、必ず後悔のない素晴らしい人生を送れる事は、【 間違いない 】と僕は確信しています。

君の素晴らしい人生に【 栄光あれ♪ 】と、僕は君にその言葉を贈りたい。

じゃぁ、またね! (^○^)/





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