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真夜中をぶっ飛ばせ!
男の視点を重要視した世界を発信する情報ブログです♪ 毎日の重圧なストレスをぶっ飛ばせ!!


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アダルトショップ店長・仁徳

Author:アダルトショップ店長・仁徳
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インターネットコミュニティーの楽園は童心の心が眠っている。
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

本当に随分と更新の期間があいてしまった。前回の更新で公開しましたが、新しい薬を飲み始めて、初日は最悪でした。(笑) あんなに体全身がだるくなるなんて思いもしなかった。もう、な~にもやりたくない…。(笑) 一番苦しい闘いが、やはり仕事であった。とにかく、文字に携わる仕事をしているのでこんなにパソコンが触りたくないと思ったのは、僕の人生ではかなり珍しいパターンだと思う…。

やっと、体も【 免疫 】が着き、だいぶ落ち着いた精神状態になった。そのだるい中で気がついたのは二つあった。ひとつは、体はだるいけど、頭の中は鮮明であり、正確な判断は…変わらないと思うが、あまり、人の(妹と彼氏)の表情が気にならなくなった。これは無関心になったという訳ではなく、変に気にしなくなった…という言い方が正解だと思う。二つ目は、妹から優しくなった…と言われるようになった。(笑) 別に意識している訳でもないが、毎日生活していると、妹の方はなんか違いがわかるらしい…。

小説の連載もだいぶストップしてしまったが、来月の上旬中に次の更新をする予定で現在はがんばっている。楽しみにしている方々は、なにとぞご了承願いたいと思います。

それでは、今回の僕のテーマは、この『 だるい 』期間に僕の心を支えに支え続けた【 インターネットコミュニティー 】をテーマに色々な角度から分析した記事を今回も書きたい。

【 インターネットコミュニティー 】…。
僕はこの言葉を聞くと、いつも思う…。いや増した年齢とオンラインの歴史を…。(笑) この世界は、僕にとって【 オンラインの世界 】では、かけがえのない言葉であり次元である。【 現実 】の世界で疲れた心を毎回癒してくれたのは、彼女でもなく、別れた妻でもなく、人間の【 本当の表情と感情 】が見えない、モニターの中の活字とビジュアルだけが、僕の心を慰めてくれた…と書いてしまうと、なんともまぁ…(寂しい男)となってしまうのが【 普通 】の連想だと思うが、それはそれでしょうがない、と思っている。(笑)

僕が、パソコンを使って、だいぶ【 使いなれてきてから 】最初やり始めたのが、ソフトウェアの開発が最初であった。次にオンラインであった。最初のインターネット通信速度は、本当に速度も遅く、イライラが続く中で、【 これが普通か… 】とあきらめていた、当時のあの【 心 】が本当に今となっては懐かしく思うが、現在の通信速度は、それに比べたらビュンビュンである。(笑)

こんな世界を、過去はどんなに僕は創造し、待ち望んでいたかと思う次第ではあるが、その【 オンライン 】の中で、最初にハマったのが、【 チャット 】であった。チャットに関しては過去の記事で、昔交際していた時の彼女の話を通して、【 嫌な思い出 】のお話をおもしろ可笑しく綴ったが、その中でも【 アバター 】という、仮想現実の世界の【 自分 】を通したチャットは目茶苦茶にハマりにハマった事は本当に懐かしい思い出の一つである。

そこから僕は、オンラインの世界にどっぷり漬かる生活が続くようになったが、このブログを読まれている皆さんも、経緯(いきさつ)や動機はほとんど僕と同じような感じたと思う。さて、【 インターネットコミュニティー 】と言うと、【 セカンドライフ 】が、本場と日本語版も含め、現在では代表的なインターネットコミュニティーとなっているのは過言ではないと言えよう。過去のテーマに【 無料オンラインゲーム 】として、このセカンドライフは少々概略だけはご紹介した事があるが、インターネットコミュニティは、WWW等のインターネットの【 アプリケーション 】を通じて、利用者間でメッセージのやり取り等を行って議論したり、交流を行う仮想的な【 場(コミュニティー) 】であるのは、みなさんも【 とっくに 】ご承知かとは思う。

コミュニティーの【 語 】には特に、その【 集団の結束の固さ 】や【 メンバー間の親密さ 】、そして、【 相互に協力的な姿勢 】、などを示唆するために用いられる事が知られているが、その上で、【 電子掲示板】【 チャット 】【 メーリングリスト 】【 ウィキ 】【 ネットニュース 】や、これらの組み合わせによって【 成立 】しているものが多い。利用者同士の話し合いで【 編集 】を行ったり、【 規則(ネチケット) 】を制定したりするウィキペディアも【 コミュニティーの一種 】だと現在ではそう言えるだろう。

このオンラインのこれらの【 前史 】は、IP以前の【 草の根 】であるBBSやUSENET等の他のネットニュース、後者から【 分化 】したメーリングリストだといえる。インターネットが一般に普及してきて、コミュニティーへの参入者が増え、新しいコミュニティーも多く形成されてきた。また一方で、【 犯罪予告 】などの【 悪意 】を含んだ書き込みがされる【 2ちゃんねる 】といった【 匿名掲示板 】の存在や、【 出会い系サイト 】による殺人事件などの【 負 】のイメージもあるのも、確かに【 現実の所感 】だと僕は長いインターネットの歴史を通してそう思っている。

そういう長い歴史を通して、現在は【 セカンドライフ 】という、素晴らしい仮想現実のバーチャルを実現されて、インターネットの世界は本当に【 華やか 】になったと言っても過言ではないだろう。

しかし、実際のところ、この【 セカンドライフ 】に関しては、かなりなハイスペックマシンのパソコンでないと、ソフトウェアの【 起動 】すらも出来ないためか、僕みたいに(笑)今でも低スペックマシンを愛する【 メンバー 】にとっては、手の届かない【 次元 】になっているのも確かな話ではある。セカンドライフに関しては、興味をもたれて、現実に日本語版のベータ版をダウンロードしてインストールをしても、少々【 幻滅 】した方も多いと僕は確信している。

また、この今原稿を書いている、妹からの誕生日プレゼントとして購入したノートパソコンでも、セカンドライフに関しては、ちょっぴりとしか動かない、正確には出来ないのも( ̄^ ̄)トーゼンのような次元に陥っている。僕はパソコンが大好きなので、どうしても【 セカンドライフ 】がやりた~い! になってしまって、この数日、体調のだるさのお陰で、ストレスが溜まる一方で、僕は【 検索 】の世界から、ある一つのサイトを見つけ、そしてそのコミュニティーのソフトをダウンロードして試してみた。本場セカンドライフの【 純日本版 】とも言える、【 セカンドライフOZ・WORLD 】というコミュニティーだ。

中身は、釣りを楽しみつつチャットとかをしながら、釣った魚をゴールド(お金)に換えレベルを上げながら仮想空間を過ごすプログラムだが、プレイした所感は、なぁ~ともまったりで、のどかな雰囲気は、僕のこのだるい体をとことん癒してくるコミュニティーソフトであった。この【 セカンドライフOZ(オズ)ワールド 】は、ちょっと前のロースペックマシンでも、楽勝に3Dが動きバリバリにプレイできるコミュニティーなので、好きな方はぜひ一度プレイしてみてはいかがかと思う。ちなみに、その仮想空間の僕のアバターの名前は【 zintoku 】なので、もしプレイして僕がオンラインしていたら、ぜひ声をかけて頂けたら嬉しいと思う。まだやりはじめたばかりで、アバター自身のレベルがあまり上がっていないので、【 釣友会 】は開けないが、もしそこの仮想空間で出会えたなら、一緒に釣りをしてチャットを楽しみながらひと時の時間を共有したいと思う次第である。

今は本当に体がだるい時期で、やっと薬も体に馴染んだのか少しは楽になった。このブログは、僕にとっていつも【 真剣勝負 】の世界なのでしっかりやりたいと思うから、こんな時期は非常にプレッシャーとストレスが溜まるが、そんな【 グレーゾーン 】を清めてくれ、またこの新しい【 インターネットコミュニティー 】が、今の僕の一番の【 癒し的存在 】になったのは間違いない話だ。人間は、いつも心のどこかで、【 ゆったりした環境 】を求めて止まないでいる。そんな大人の【 童心の心 】が眠っているのは、この【 セカンドライフOZ(オズ)ワールド 】だ。

このOZワールドの住人は、みんな優しい。不思議なくらい優しい。過去の経験から思えば、オンラインのコミュニティーはこんなに優しかっただろうか…。と思うくらいである。(笑) 初日は妹から少々注意を受けたが、11時間もぶっ通し、昨夜は8時間もぶっ通しで仕事終了後、このコミュニティーの空間で癒されていた。(笑)これからは、もっとマイペースに自分を見つめて生きていこうと思う。同居している妹からも同じようなアドバイスをもらった。

人間のタイプには実に様々なタイプの人間がいる。しかし、その誰しもの心に存在しているのは、【 ゆったりと生きたい 】という世界だ。だが、現実は、そんなゆったりとした生活というのは、まだまだ僕らの【 年代 】では到底【 ない 】に等しいのが現実である。だが、その【 ない現実 】を手にするのはやはり、オンラインでは【 可能 】だという事が、今回の【 インターネットコミュニティー 】の最大の人気を呼ぶ秘訣なのだろうと思う。オンラインの世界は、【 人間の理想 】を形にした現実であり夢でもある。僕みたいに人の眼に見える感情を嫌う人々にとっては、いつの世も、そして今後の将来も絶対に栄えてく世界だと確信して、今回の分析ファイルの終止符としたい。

今回も最後まで読んでくれて本当にありがとう。

やっと、暑さもピークを終え、気候は秋らしくなってきましたが、みなさんはどのようにお過ごしでしょうか?

この数日は最悪な体調の中で過ごした僕ですが、今後もブログは更新していきます。体調がベストになるまで、不安定な時が続くと思います。どうか、楽しみにしている方々にはご了承を願いたいと思う次第です。今後もどうぞよろしくね!

じゃぁ、またね! (^○^)/

僕のインターネットコミュニティーの情報

【 セカンドライフOZ(オズ)ワールド 】
http://www.ozworld.jp/








テーマ:オタクなインターネット分析 - ジャンル:アダルト


人間の葬儀こそ、我々に人生の意味を伝えているのだ。
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

今回は、僕の父方の親戚に不幸があり、鹿児島県まで行っていた。
僕自身は、その亡くなった親戚の人とは、2~3度過去にお会いした程度ではあったが、母親がなくなった時に、大変お世話になって為、今回は同居している妹と、二人で、鹿児島にはるばる参加の為に行ってきた。久しぶりに見た、桜島は雄大で、素晴らしい風景ではあったが、今回は色々な事情により、父親が参列できなかった事が非常に悔しく思った次第であった。


それでは、今回の僕のテーマは、人間の最後の瞬間の荘厳な儀式である、【 葬儀 】をテーマに色々な角度から分析し記事を書きたい。

【 葬儀 】…。今回の親戚の葬儀は、少々、昔の風習やしきたり等があったが、葬儀という世界は、本当に【 宗派 】や、その【 遺族の関係 】で、色々な状況があり、実にその葬儀の光景は様々であると僕は思っている。

僕も、家出をした20代から今日に至るまで、色々な葬儀にかかわってきたが、その中でも、僕が一番悲しく、心から崩れ落ちた葬儀は、やはり数年前に亡くなった【 実母 】の葬儀と、離婚後に交際していた、結婚を前提として当時交際していた彼女の突然の死は、本当に衝撃的であった。その交際していた時は、僕は【 夜勤 】の仕事をしていたが、仕事から帰ってきた朝、自宅の駐輪場に、原チャリを置いて、自宅のドアを開けた瞬間、玄関先に彼女が倒れており、彼女の表情はすでに紫色に変色し、救急車を呼んで、救急車の車内で、救急班が本当に献身的な対処を施してくれたが、すでに自宅の玄関を開けた時の時点で、【 手遅れ 】の発見であったのが非常にあの時は悔しかった。

死因は、【 くも膜下出血 】であった。数日前から、僕に【 頭痛 】がすると彼女は僕に訴えていたが、頭痛薬を飲むとすぐに症状が治まるので、僕も彼女もただの頭痛だと思っていたが、その病魔は、刻一刻と、彼女を蝕んでいたのを、僕が気がついてあげる事ができなかったのが、今でも思いだす度に胸が苦しくなる。この二つの【 葬儀 】そして、その瞬間は本当に僕は男泣きで崩れ落ちた。葬儀が終わっても、僕は【 それ 】を引きずってしまうタイプの男なので、【 元気 】な気持ちで生活に落ち着くまで、本当に長い時間がかかってしまったが、今は、女性との縁もまったくない状態なので、正直な話、ちょっとは寂しいが(笑)、この生活も、それはそれでまたいいのかも知れない。

これは、世界の【 葬儀 】の初の歴史ではあるが、現在、【 発見 】されている【 歴史上初めての葬儀跡 】と言われている物が、【 イラク北部 】にある【 シャニダール洞窟 】で見つかった…というのが僕の学んだ過去の記憶の中にはあるが、間違っていたら申し訳ない。この洞窟の中には【 約6万年前と推定 】される【 ネアンデルタール人の骨 】が見つかっており、その周辺には、この洞窟から見つかるはずの無い、【 花粉 】が見つかったと報告されている。これは、死者を弔うために【 花を死体の周りに添えた 】と解釈している…との記事を昔新聞で読んだ覚えがある。

葬儀の概要を書きたいと思うが、ごく一般の【 認識 】の世界では、葬儀の様式には、それを行う人たちの【 死生観 】【 宗教観 】が深く関っており、宗教の違いが、そのまま【 葬式の様式 】の違いになる。また葬儀は【 故人 】のためだけでなく、【 残された者のため 】に行われる、という【 意味合い 】も強くあるらしい。残された人々が人の死をいかに【 心の中 】で受け止め、【 位置付け 】、そして【 処理 】するか、これを行うための【 援助となる儀式 】が【 葬儀 】というものであるらしい。その意味で葬儀は、【 宗教が文明に発生する以前 】の【 旧石器時代 】から行われてきていた【 宗教的行為 】であるといえると言えよう。ただし、【 日本の葬儀 】で連想される【 仏教との結びつき 】は、日本(アイヌや琉球を除く)独特のモノであり、その他の【 仏教国 】では、【 僧侶 】は葬礼に直接関与しない。中世前期に律僧や時衆が、【 庶民の仏教典礼 】として促進したことに始まり、定着をみたのは、寺請制度のできた【 江戸時代 】からと言われている。

また、日本における葬儀の【 慣習 】においては、【 通夜 】は【 古代の殯(もがり) 】から発している。これは、告別式の【 前夜祭の形態 】をとっていると言うことであるが、誰かが寝ずの番をして(交代でもよい)、夜明けまで灯明や線香の火を、絶やさないようにしなければならないという、【 魔除けの意味がある 】という事らしい。また近年では、消防署の指導などにより、式場では【 夜間の火 】は焚かないよう指導が入ることもあり、都市部の式場では夜通しではなく、【 半通夜 】と呼ばれる形態で、夜は遺族が帰ってしまう場合もある。

そして、火葬場に向かう道と帰り道は【 同じ道 】を通らないと言う事らしいが、今回の僕が参列した、親族の葬儀は、その事を親戚の方から僕と妹に告げてきた。一本道で難しい場合であっても、【 可能な限り 】同じ道を通らないように努力しなければならない。埋葬した【 死霊が付いて来ない 】ようにするためであるらしい。葬儀終了後に【 振り塩 】と呼ばれる【 清めの塩 】をやった経験の方々も多いと思うが、これは【 神道由来の慣習 】であって、死を【 穢れとみなさない 】仏教の教義に【 反する 】と考える意見もあり、元来これを行っていなかったと言う事だ。


上記のこの内容は、【 浄土真宗を中心 】に、近年では行われないケースもあると言う事らしい。遺体を安置する場合には、遺体の【 胸の上 】に【 魔除け 】として【 刃物 】を置く。これを【 守り刀 】と呼ぶ由来は、【 武士の社会 】で、刀によって【 魔を斬る 】、といった意味や【 魔物の使い 】とされていた【 猫 】が光り物を嫌がるので、刀を置くことが【 魔よけ 】とされた。一般に【 告別式 】は【 友引の日 】を避けるが、これは俗に【 友を(死に)引かない 】よう配慮するためとされるらしい。ただし、【 元来六曜 】は、仏教とは関係がない。【 賭け事 】や【 勝負事 】から入って来ており、友引とは【 勝負事で友人と引き分ける 】というのが意とされ、陰陽道との【 混淆 】に由来している。

ゆえに、【 友引の日 】に告別式を【 行わない風習 】は、【 迷信 】と考えられる。火葬場も年末年始【 のみ 】が【 休業日 】となっている所が増えて来ている。なお、墓地など【 埋葬する場所 】まで送ることを、【 野辺送り 】と称することがある。遺体を安置すると、そこに御供え物として【 枕飯 】や【 枕団子 】を供える。枕団子は米の粉(上新粉)などを丸めて作ったもので、数は【 地域によって差があり 】、六地蔵、六道から【 六個 】とする説と、13仏などからとった【 13個 】とする説がある。亡くなった日から一個づつ増やして【 四十九日まで 】お供えし、【 49個 】飾る地域もある。枕飯はご飯を御茶碗に【 山盛り 】にして、御箸をさして飾る。この風習の光景は、みなさんもテレビや葬儀の現場で見たことがある人がけっこう多いと思う。

また、【 神道での葬儀 】は【 神葬祭 】と呼ばれる。神道では【 死を穢れたもの 】と考えるため、聖域である【 神社 】では葬式は決して【 おこなわず 】、故人の【 自宅か葬斎場 】で行うことになる。現在の形の神葬祭は、江戸時代に【 儒式葬 】をもとに考案されたものである。式の際には、中央の祭壇の【 脇に 】遺影を置き、祭壇の奥に置かれた棺の後方に、【 銘旗 】と呼ばれる、故人の名前が書かれた旗が立てられる。そして、その周りに【 灯明 】【 榊 】【 供物 】などをあしらえる。

式の大まかな流れは、まず【 神官 】が遺族と参列者および会場を祓い清める。そして【 神職 】により祖霊に【 供物をお供え 】をする。神職は祭詞を【 奏上 】し、故人の生前の業績を述べ遺徳を偲びつつ、祖霊となって遺族を【 守ってくれるよう 】願う。参列者は【 玉串 】をささげて、【 二拝二拍手一拝 】を行い故人を偲ぶ。このとき【 拍手 】は、【 音を立てない 】『 しのび手 』で行うのが正しい儀式の内容であるらしい。

また神道では、墓所を【 奥津城、または、 奥つ城(おくつき) 】と呼び、墓石にも『 ○○家之奥津城(奥都城) 』と表示している家が多い。位牌を祀る場合は、仏壇の代わりに【 御霊舎(みたまや) 】を置いている。近年の葬儀はほとんどは【 仏式 】で営まれており、これは、【 江戸時代 】に【 寺請制度(てらうけせいど) 】が始まり、仏式による葬儀が一般化した事による。一方で江戸時代には、【 日本古来 】の葬儀のあり方を見直す運動が起こり、【 明治 】になって【 神道による葬儀 】を行うことが一般に認められるようになったとされている。

ここので、日本の葬儀の習慣や儀式を述べてきたが、まだまだこの他にも葬儀の儀式の【 仕方 】には沢山ある。葬儀に関する様式を自宅にある専門書で調べてみたが、葬礼の様式として、【 葬儀 】【 密葬 】【 家族葬 】【 友人葬 】【 市民葬・区民葬 】【 福祉葬 】 【 社葬 】【 国葬 】【 生前葬 】がある。

遺体の処理法の埋葬の仕方には、【 鳥葬 】【 土葬 】【 風葬 】【 洗骨 】【 水葬 】【 火葬 】【 宇宙葬 】があり、この宇宙葬に関しては、当初はSF作品等における架空の様式と思われがちだが、1997年に世界初の【 宇宙葬 】が実現され、ジーン・ロッデンベリー氏らが【 宇宙に旅立って 】葬儀の埋葬が行われたのが初である。 また様式にある【 友人葬 】に関しては、宗教団体である【 創価学会 】は、これを率先して現在は実行している光景は有名な話である。

まだまだ、この【 葬儀 】に関する事は、納骨の事とか色々あるが、文字数の制限で、ここまでしか今回は書けないが、人間はいつかは死んでしまう…。しかし、今回の親戚の葬儀でも思ったことではあるが、葬儀に参列、そして出席する方々を拝見しても、その人間の死に至るまでの【 人生 】には、すべて【 意味 】がある事を深く実感した次第である。また、けして、【  】と呼ばれる【 人間 】は、一人もいない事を改めて知った思いがした…。

今回も最後まで読んでくれて、本当にありがとう。

だんだん暑さが少しずつではありますが、和らいできましたね。この時期こそ油断大敵なので、健康管理にはお互いに充分に気をつけて、共々に生活をしてまいりましょう。

じゃぁ、またね! (^○^)/






テーマ:悲しい思い出 - ジャンル:アダルト


宇宙に光る銀河系こそ我々の象徴が永遠に輝いている♪
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

最初に恒例のお知らせをしたい。
この原稿を書いている時点では、すでに昨日となってしまったが、僕が執筆をしている連載小説・【 天使の指先 】の【 前日3 】が昨日の夕刻公開されました。楽しみにしていた方々は、ぜひ読んで頂ければ幸いです。


最近は、暑いせいか、仕事が終わり、夕食が終了してから満腹感でゴロゴロしていると、睡魔に負けてすぐ仮眠状態になってしまう。(笑) 本日、この原稿を書いている日は、汗をかいてしまったのでシャワーを浴びてから、自分の部屋で扇風機の前で涼んでいたら、不覚にも寝てしまっていた。(笑)

体温が下がってしまったのか、【 寒い 】くらいの感覚を覚えて目がさめた時は、すでに23時40分を回っていた。この原稿を書いている夜中は珍しく本当に涼しい・・・。いつもなら、モワ~ッとしていて、生暖かい室内温度なのだが、本日の夜中は、少々ヒンヤリとしていて、この原稿も書きやすい環境下がある。いよいよ、秋の到来が近づいていると実感する次第である。それにしても、【 夏 】は、暑いが、年齢のせいもあるのか、期間が段々と短く感じるのは何故か切なく思う今日この頃である。

それでは、今回の僕のテーマは、夢とロマンを語るには、いつの世も永遠で輝かしい、この我々の住む【 銀河系 】をテーマに色々な角度から分析したを書きたい。

【 銀河系 】・・・。宇宙、そしてこの銀河系の事で、少年期の頃はクラスメイトや少年期当時の友達と本当に時間があれば、その輝かしい展望に眼を向けて、【 純粋 】に、この大ロマンを昔はよく語っていた事を想いだす。本当に今となっては懐かしく、また【 あの頃に戻りたい・・・ 】などという、儚い夢を描いてしまうが(笑)、その【 広大さ 】はいつの世も変わらない。

今回は、このテーマ更新するに辺り、時間の許す限り、色々とネットサーフィンをして情報を集めて勉強をしてみた。その情報の中でも、とりわけ僕の【 気 】を引いたのが、何と、宇宙がこの世に【 誕生 】した時代と、この我々が生きる【 銀河系 】が誕生したのは、大体、【 同時期 】らしいという情報を得た。しかし、簡単に【 同時期 】と言えど、僕たちの寿命からみれば、僕たちはその間に、何回【 輪廻転生 】をしたのか・・・とも考えてしまう。また、この宇宙が誕生したお陰で、僕たちはこの世に生を受けて、この美しい【 地球 】で生きている訳だが、今回は、【 銀河系の歴史 】にも迫ってみたいと思っている。

銀河系は、私たち人類の住む【 地球や太陽系 】を含む【 銀河 】で、【 局部銀河群 】に属する。以前は渦巻銀河の一種と考えられていたが、近年では【 棒渦巻銀河であるとする説が有力 】になりつつあるそうである。地球から見えるその帯状の姿を【 天の川または銀漢(ぎんかん) 】などと呼んでいるらしいが、現在では銀河系のことを【 天の川銀河 】と呼ぶこともあるみたいだ。通常の渦巻銀河と同様、銀河系も数多くの【 恒星や星間ガス 】などの天体の集まりで、【 全質量 】は太陽の約6000億~3兆倍と見積もられている。

そのうち可視光などの電磁波を放出している質量の合計は 1/10 以下で、中心付近には比較的古い恒星からなる密度の高い【 バルジ 】を持ち、それを取り巻くように、若い恒星や星間物質からなる直径約8万~10万光年のディスクがあり、ディスクの厚さは【 中心部 】で約15.000光年、【 周縁部 】で約1.000光年で【 凸レンズ状の形状 】を持つ。ディスクの中には明るい星や【 散開星団 】【 散光星雲 】などが多く見られる渦状腕が存在する。

相対的なスケールを考えると、銀河系を直径130キロメートルに縮めた場合、太陽系は約2mmほどの大きさになるらしい。バルジとディスクのさらに外側には約130個の【 球状星団 】などから構成されているが、直径約25万~40万光年の球形の【 ハロ 】という物が存在する。銀河系の【 中心 】は地球から見て、【 いて座 】の方向に約3万光年離れた所に位置しており、いて座Aという強い電波源があり、いて座Aの中心部には【 大質量ブラックホール 】が存在するとも考えられているが、到底人間の想像力の次元では、理論は解っていても、なかなかピンともこないのが現実の話である。(笑)

次に【 銀河系の発見 】について書きたいと思うが、【 ハーシェル 】が【 恒星の計数観測 】を元に描いた【 銀河系天の川 】が遠く離れた星々から【 なっている 】という説を最初に唱えたのは【 デモクリトス 】である。その後、1609年に【 ガリレオ・ガリレイ 】が望遠鏡を使って天の川を観測し、【 天の川が無数の星の集まり 】であることを発見した。1755年には【 イマヌエル
カント 】が、天の川も太陽系と同様に多くの恒星が重力によって円盤状に【 回転している天体 】であるとする説を唱えた。1788年には【 ウィリアム・ハーシェル 】が恒星の見かけの明るさを距離に対応づけることで、恒星の【 3次元的な空間分布 】を求める計数観測を行い、天の川が直径を約6.000光年、厚みを約1.100光年の【 円盤状の構造 】であるとし、太陽がそのほぼ中心にあるとした説を唱えた。20世紀には【 ヤコブス・カプタイン 】や【 ハーロー・シャプレー 】によってもより【 正確な銀河系の構造 】が求められ、また21センチ線による電波観測によって【 銀河系が渦巻銀河 】であることが明らかになったと言う事であるらしい。

次に、銀河系の【 年齢 】に迫ってみたいと思う。銀河系の年齢は2006年の時点での結果であるが、【 約136億年 】と見積もられている。これは宇宙自体の年齢にほぼ近いと言うことだ、これは、僕にとっては新しい発見の情報でもある。(笑) この値は2004年にイタリアの研究者チームによる観測で求められた。彼らは紫外線を使用する【 可視光線エシェル分光器 】という機器類を用いて【 球状星団 NGC 6397 】の二つの恒星に含まれる【 ベリリウムの量 】を【 初めて 】測定した。彼らはこのデータから、銀河系で第一世代の星々が生まれた時代と、この球状星団で第一世代の星々が生まれた時代の時間差を推定し、約2~3億年という値を得たという話だ。一方、この球状星団の【 恒星の年齢は約134±8億年 】と見積もられていることから、彼らは【 銀河系の年齢 】を【 136±8億年 】くらいと見積もっているそうである。

次に【 銀河系の構造 】に眼を向けてみたいと思う。【 銀河系の渦状腕の構造 】は、2005年の現在、銀河系は総質量は約6000億~3兆【 太陽質量 】であり、約2000億~4000億個の【 恒星 】が含まれていると考えられている。銀河系が普通の渦巻銀河でなく【 棒渦巻銀河 】であると考えられるようになったのは、まだ20年前の1980年代になってからであるとその専門サイトには書かれていた。2005年には、【 スピッツァー宇宙望遠鏡 】によって行われた観測でも、この【 モデル 】は裏付けられており、さらに銀河系の棒構造は今まで考えられていたよりも【 大きい 】ことが明らかになっている。

銀河系のディスクは直径約10万光年と見積もられているが、太陽から銀河の中心までの距離は、約26.000~35.000光年と見積もられている。ディスクは銀河中心では【 外側 】に膨らんでいる。銀河系の中心には、非常に大きな質量を持つ【 コンパクトな天体 】が存在しており、【 大質量ブラックホール 】である【 可能性が高い 】と考えられている。現在では、ほとんどの銀河が【 中心 】に【 大質量ブラックホール 】を持つと考えられているが、銀河系の【 バー 】は約27.000光年の長さを持ち、我々の太陽と銀河中心を結ぶ直線に対して、約44±10度の角度で銀河中心を貫いている。そして、その【 バー 】は、主に【 年齢の古い赤い星 】から構成それているそうである。

まあ、今回は専門分析の世界を、【 たっぷり 】と綴ってみたが、この【 銀河系 】も単純に考えて、ただ、【 だだっ広い 】としか、モノのとらえようがないが、それよりも、この【 大きさ 】にしろ【 構造 】にしろ、計算をした【 博士陣 】の【 頭脳 】も、本当に驚くほどの驚異の世界をかもし出す【 計算 】をしていると、僕はいくつかのサイトを覗いて情報を集め、僕なりにまとめてみたが、このいくつかのサイトで情報を集め勉強させていただいた中で、本当に僕が知りたかったのは、これらを測定する【 最初の基準 】を誰が作ったのか、または発見したのかと言う事を知りたがったが、いざ、実際にそれを知っても、今回はすでに文字数の制限が見え始めている。(笑)

いつの世も、【 宇宙 】も【 銀河系 】も広大な海のなかに浮かんでいる。この大ロマンを幾億万人の人々が空を見上げ、そのロマンを語ってきたと思う。しかし、そのロマンは、いつの時代も【 未知 】であるがゆえに、想像上の展望ができ、【 夢 】を語れるのではないかと僕は思っている。人間の存在は本当に【 小さい 】・・・。しかし、その【 能力 】は限界を知らず、まだまだ知識の次元においては【 進歩 】が止まないでいる。その中で、僕は一つの事を発見した。広大な世界を見つめる事ができるのは、やはり【 無限の可能性 】を秘めた【 人間 】でしか出来ない事であるが、その【 未知 】を知る権利をもつのも、また【 未知 】なる【 内なる大宇宙 】をもっている【 人間だけ 】なんだと言う事を・・・。

今回も、最後まで読んでくれて本当にありがとう。

最近、変に途中で仮眠をとってしまうので、寝たい時間に寝られない悩みを抱えて日々、暑い中僕はがんばっています。こん原稿を書いている【 今 】はだいぶ涼しくなっていますが、【 秋 】は・・・僕は寂しい・・・。(笑)

じゃぁ、またね! (^○^)/






テーマ:マニアックな分析 - ジャンル:アダルト


人間の心は常にドロドロな汚れにまみれているのか!?
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

いや~しかし暑い・・・。
この二日間は、暑さでバテしまって、仕事が終了し夕飯を食べたらそのままグロッキーの状態が続いてしまった。(泣) 皆さんは、大丈夫であろうか?

それでは、今回の僕のテーマは、現代社会人の根底にいつも潜む【 醜い心 】をテーマに、今回も色々な角度から分析をし記事を書きたい。

【 醜い心 】・・・。僕の記憶にある限りでは、この16~17年は本当にこの人間の【 醜い心 】に悩んできた。人はよく【 腹黒い 】とか【 心根が悪い 】とかたまに耳にする時もあるが、折々の場面で【 その人の本音 】がありありと表情にで、そして【 目つき 】にも出るときがある。(笑)

本当に嫌な瞬間と場面であると思う次第である。だいたいこう言う感情が出る時というのは、対外【 相手 】には【 それ 】があり、【 自分 】にはそれが【 ない 】ものをまざまざと【 見せつけられたり 】、【 自慢 】される事が起きた時、それを【 縁 】として、自分の心の【 感情 】の中に、その【 卑しい心 】がグイグイと自分の心のブレーキを【 破壊 】するように【 変な感情 】が頭をもたげてくる。まあ、これは俗に言う【 ひがみ根性 】というものであるが・・・。(苦笑)

そう言う中、男性の場合においては、【 我慢 】が効かなくなると大抵は【 喧嘩 】という世界が勃発する。(笑) 僕も前回辞めた【 バイト 】では、仕事と人間関係があまりにも【 過酷 】すぎる環境のせいか、毎日のようにこの人間関係での【 卑しい心 】に悩みに悩んだ4年半の生活を送ってきた。(苦笑)

また女性の場合は【 そのような条件下 】に【 縁 】をすると、きまって陰で【 悪口 】や【 愚痴 】、そして【 噂話 】等の【 風 】が早くてその日、遅くても次の勤務では大抵耳にする事が多かったように思える。まあ、それをサラッと右から左へ流せればいいのだが、ほとんどそんな相手の【 変な自慢話 】や【 虐め的な発言 】を聞いたり、または、されたりすると。人は誰でも必ず心の底で【 根深く 】思う時が多々あると言っても過言ではないだろう。

また前の職場では、大抵の人間が【 苦しい生活にさいなまれていたり 】【 どうしようもなくダラシナイ生活をしている 】とか【 意味ありな人生 】の方々が多く働いていた職場だったので、そういう環境下の世界で仕事をすると、変に【 息が合うメンバー 】だけの【 仲良しこよしグループ 】ができ、その【 クループ 】が、変に職場の【 責任者 】的立場の人間にヨイショを試みて、その【 呼吸 】に巻き込もうとするのか(苦笑)、いつしかその責任者もその【 仲良しこよしグループ 】の【 土俵入り 】になった時、その時から【 まじめな方々 】は【 疎外 】されていく状況下に追い込まれていったように思える。

僕の目には一生懸命に仕事をがんばっているように見えても、その【 仲良しこよしグループ 】の【 仲間入り 】した責任者も、そのメンバー達の変な【 評価 】に振り回され、結局は【 まじめにがんばっている人 】こそ変な【 悪口 】や【 陰口 】を裏で言われ、現実の【 実績 】や【 功労 】が認められない現実が、実際にこの現代社会の中に【 息づいてる 】こと事態が、僕にとっては非常に不愉快極まりないと思う次第である。

確かに、正確にはその【 がんばっている人 】を一生懸命【 観ている上司 】も中には存在する時もあるが、現代社会は、本当にそれらは【 少ない現状 】であると僕は思っている。また、今の時代は、【 変に保守的人間 】が多い時代なのか、その【 真面目な縁 】に入りたくなく、逆に【 仲良しこよしグループ 】の集合陣の、ある種の【 派閥 】に入ったほうが【 徳 】とか、【 無難 】と考える人が多い時代なのが本当に悲しい。

また、そういう時に限って、その【 仲良しこよしグループ 】の方が【 仕事 】が変に出来るメンバーが多く、【 ウサギと亀 】ではないが、【 マイペースの地道型 】のタイプ人間は、変に【 隅 】に追いやられる現状もよく考えると僕は【 不自然 】に思っている。僕は【 職場 】においては【 全員が人材 】だと考えるタイプの人間なので、職場の中で【 偏見な意見 】【 筋違いの判断 】は、【 潔癖 】なほど、心の中で僕は【 反発 】を覚えてしまう。

そう言う現代の【 死角 】こそ、もっと【 利益 】以上に考えなくてはいけない【 問題 】なのではないかと僕は思う次第である。確かに、現代社会の【 生き残り 】の戦いは、【 非情 】なほど【 残酷 】な結果をがんばっている人々に与えてしまう時がある。地道にがんばってきた人ほど、その【 功績や実績 】が認められず、いつまで経っても【 隅 】から【 脱皮 】できない【 誤った判断 】こそ、僕は【 死ね! 】と思ってしまった時が過去に多々あった。(苦笑)

しかし、大抵、僕がそういう風に思っている時ほど、相手も【 僕たちのグループ 】を【 うざく 】思っている時がほとんどのようで、また【 相手 】も【 お前らこそ死ね! 】と思っているようだが、最悪な時はそれを【 まともに口に出して 】、『 早く消えろよ・・・ 』と言われた時は本当にショックであったが、【 真面目で何が悪い・・・ 】と思う次第である。

まあ、これは【 規律 】があまり【 正されていない職場 】の話なので、しっかりされた【 会社 】こそ、【 表面 】には【 浮上 】しないものの、【 裏 】では、やはり同じような事が繰り返されている現実は変わらない・・・。

そういう【 環境下 】に僕は4年半いた訳だが、その中で人間として【 学ぶ事 】は意外とたくさんあるのには、実に【 不思議 】な感覚を覚えた。僕は過去の記事にも書いたが、僕は人生の苦しい経験から【 常に一歩 】ほど【 心の距離 】をおいて相手に接しているせいか、そういう【 感情 】や【 弱肉強食的 】な状況に流されている【 職場 】ほど、【 人間の感情 】や【 行動 】、そして【 相手の心理 】を通して、【 仕事の改善点 】をたくさん発見する事ができたり、また、【 自分の人生 】をしっかり見つめられたりする事が、自然とできるようになった。

しかし、これは【 荒廃した現場 】から【 健全な判断と精神 】を養えた【 良い例 】の方であり、この環境下に【 流されやすいタイプの人材 】ほど、よ~くその本人を【 人間ウォッチャー 】すると、現実の生活は、見事に【 酷すぎる 】というメンバーが【 ほとんど 】だったのは非常に悲しい現実だと僕は思った。

そして、【 どうでもいい 】ようなタイプの人間ほど、【 考えがずさんでいたり 】するのも【 見逃せない 】【 人生のお勉強 】でもあったと思う。とにかくそう言う環境の職場にいると、【 人の出入り 】もひどく激しく、半年経つと、ベテラン陣以外は、皆【 新顔 】になる職場だったので、毎年、年がら年中、【 最初から同じ作業工程 】をその【 新人 】のメンバーに教えていたように思えてならない。(苦笑)

また、毎日酷く【 叱咤 】をされる職場だったので、変に【 人間恐怖症 】になるのも止む終えない事実なのではあるが、その【 相手の叱咤 】が【 半分 】パフォーマンスに気がつくまで【 2年 】もの歳月を必要としたが、365日も人間は【 叱咤 】され続けると、いい加減、【 人間関係 】など、どうでもよくなってきて、いつしか自分を守るだけの【 保守的人間 】になっていくのも現実的な話だ。

また、その叱咤が【 慢性化 】してくるので、【 真実 】が見えずらくなってくるのも事実な話だ。しかし、僕はそういう環境下の中で、それを【 チャンス 】ととらえようと、常に努力してきたが、結局それが【 意思疎通 】をしたのが、【 たった一人の青年 】だけであった。その【 青年 】こそ、実は絶対に【 信用 】できる【 人間なんだ・・・ 】と知ったのも、その【 職場 】のお陰かもしれない。

確かに、【 人間 】は皆、自分の生活を豊かにしたく、日々、毎日汗水たらし働いている。しかし、現代社会の【 環境 】や【 状況 】を考えると、【 お金よりも大切なモノ 】も発見できると同時に、【 同じくらいの質と量 】の【 卑しき心 】も育てられてしまうのも、現実の実態と言っても過言ではないだろう、と僕は思っている。

人は誰でも、【 感情 】に流されたり、【 人の幸せ 】を【 羨ましがったり 】、時には逆に【 恨んでしまう 】事も多々ある。しかし、その中で絶対に忘れてはいけない事があると思う。それは、相手に対する【 優しさ 】や【 思いやり 】の世界だ。その中で最も大切な事は、【 相手を許してあげる 】という事ではないかと思う。どうせ、一日を苦しく生きる事が多いなら、その分、【 笑顔 】を絶やさないで生きていく一日の方が【 徳なのだ 】と言う事を、僕はこの職場から本当に実感として感じる事ができた。

よって結論に移りたいと思うが、現代社会こそ、この【 卑しき心 】が充満する中で、本当に大切な事は何か・・・。それは、相手に対する【 同情 】はほんの【 少し 】で良いと思っている。それよりももっと大切な事は、【 相手も心をもつ人間なのだ 】という、その心の中に、自分が【 成長できる因 】がたくさん眠っているという事実を知ったとき、それこそ人間が初めて【 人生 】を知る【 第一歩の時 】なのだ、と言う事を今回の分析ファイルの終止符としたい。

今回も最後まで読んでくれて本当にありがとう。


今回は、ちょっと色々な事情により期間があいてしまいましたが、連載小説・【 天使の指先 】の更新が明後日の夕刻に行われます。楽しみにしている人はもうちょっとまっててくださいね♪

じゃぁ、またね! (^○^)/






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美しき生命の発祥は今の正しき行為になるものなり♪
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

それでは、今回の僕のテーマは【 輪廻転生 】をテーマに、一個の人間として生まれてきて、今世の人生を色々な角度から分析した記事を書きたい。

【 輪廻転生 】・・・。
僕は実にこの世界は、興味深々の世界である。(笑) もちろんこの根本は、若き日の家出の【 反省 】からすべては来ているが、人生の折々の時に、僕はよくこんな事を頭の中で描いている・・・。人間は平均80歳の人生と過程するならば、間違いなく100年後には、【 今の 】人類のすべての人間がこの地球上には【 存在 】しない・・・という考え方になるが、そう考えたとき、我々の人生の一日一日は、本当に大切で尚且つ【 重要 】な意味が【 何かに 】隠されているとしか思えてならない。

【 輪廻転生 】とは、【 輪廻 】と【 転生 】という言葉を合わせた言い方であるが、この二つの言葉もそれぞれ、単独の単語として【 意味 】をもっている。

まず、【 輪廻 】とは、ヴェーダーや仏典などに見られる用語で、人が【 何度 】も【 転生 】をし、来世である【 未来 】で動物や人として生まれ変わることを【 特に 】言う言葉であり。『 輪廻 』を【 リンネ 】と読むのは、国語学上の【 連声(れんじょう) 】という現象であると言われている。

【 輪廻 】は、主に【 ヒンドゥー教 】と【 仏教 】の【 経典 】や【 教義 】によくその世界が説かれている事は非常に有名な事ではあるが、【 ヒンドゥー教 】では、【 輪廻を教義の根幹 】とし、【 信心 】によって次の【 来世 】において【 境涯 】が上がり、【 豊かな 】環境の中に次の【 自分 】は生まれてくると説かれている。また、あの有名な国である、釈迦が誕生した【 インド 】においては、【 輪廻 】の事を【 サンサーラ 】と呼んでいる。

【 サンサーラ 】とは、生き物が死して後、生前の【 行為 】つまり【 カルマ 】の結果、次の多様な生存となって生まれ変わることを意味している。。今世において【 何らかの 】行為が行われた後、未来世に【 なんらかの結果 】がもたらされると伝えられているが、この【 結果 】は、【 行為の終了時 】に直ちにもたらされる事柄のみでなく、次の【 行為 】と、その【 結果 】としてもまた現れるようである。

その【 行為 】とは、【 行われた後に 】、なんらかの【 余力 】を残し、それが【 次の生 】においてもその【 結果 】をもたらすというのが【 サンサーラ 】の基本的な考えとされている。

この【 結果 】がもたらされる【 人生 】は、【 前世の行為 】にあり、その【 行為 】は【 輪廻 】が【 原因 】とされたと伝えられているが、ある【 説 】では、【 生き物 】は、【 行為の結果を残さない 】、行為を【 超越する段階に達しないかぎり 】、生まれ変わる【 次の生 】は、【 前の生の行為 】によって決定されると伝えられる説もある。

現代の【 日本国 】に伝わる今の【 話題 】としては、後記の内容が一般的に有名な内容なのではないかと僕自身は思っている。

また【 仏教 】においては、伝統的に【 輪廻 】が教義の【 前提 】となっており、輪廻を【 苦 】と捉え、輪廻から解脱することを目的とした教義も各宗派の教義にも説かれている。ただし輪廻の主体たる【 常住不変の我 】は【 因縁説 】と【 矛盾 】しており、成立しない【 無我 】とする点で、他のインドの伝統宗教と過去に対立してきた歴史がある。仏教者や仏教研究者のなかには、釈迦は輪廻説を【 前提 】としておらず、インド古代から半ば社会の常識化した輪廻を直接的に否定する事もせず、【 方便として是認したに過ぎない 】と主張する者もインドでは少なくないと言われている。

次に【 転生 】であるが、【 一般には仏教用語 】とされているが、実際は【 仏教起源の思想ではなく 】、世界各地に見られる【 古代からの神秘主義的 】な信仰に認められるのが現実の姿ではあるが、インドでは仏教での教義で説く、人間の【 心の境涯 】を6つに分類した【 六道の境涯 】にみられるような【 生まれ変わり(輪廻) 】による苦から解脱する事が目的とされたが、仏教ではそのような転生を【 方便 】として受け入れ、【 浄土教の源信等 】のように、転生を信じながら真摯な布教活動をした宗教家も過去には多くいたと知られている。

【 転生 】の研究は、古来から宗教団体や心霊研究者等が科学的研究をしているが、多くは事例蒐集のみで終始させることが非常に多いと言える。本質的に真正な科学的で合理的手法による実証の極めて難しい分野であり、【 信じる 】【 信じない 】の議論に陥ってしまうことが多いのが、現実の実態と言える世界である。そういう、二つの意味を統合して、【 輪廻転生 】の世界は、死んであの世に還った【 霊魂(魂) 】が、この世に何度も生まれ変わってくることを【 転生 】と言うようになった。また、【 輪廻転生観 】が存在しないイスラム教においても、アラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方は、現実に今でもその【 精神 】は保ち続けてられているという話だ。

現実には、この【 理論 】があるにせよ、実際に【 観た者はいない 】のがごく普通の話ではあるが(笑)、皆さんは【 輪廻転生 】の世界はどう思われますか?

この【 輪廻転生 】に関しては、昔、俳優の真田さんと、歌手の沢田研二さんの競演された映画が特に有名であるが、少し前の映画では、その映画のリメイク版として他の俳優陣を起用して公開された映画もあった。不思議な事に、この【 輪廻転生 】の世界の物語とは、【 時代劇 】か【 ホラー系列 】に偏っているのが僕としては本当に素朴な疑問なのである。人間は、いつもこの【 輪廻転生 】の次元を【 怖い 】次元から観察するのが好きみたいだが、もっとファンタジー溢れる【 素敵 】なストーリーを描いてもいいのではないかと僕は思う。

確かに、【 それらしき 】素敵なファンタジー映画はいくつか僕もしっているが、現実には【 らしくない 】【 輪廻転生 】の世界ばかりで、逆に【 夢 】と【 理想 】ばかりが目立って、【 現実 】らしくないのが残念に思う時もある。またこれは僕の勝手な【 思索 】ではあるが、この輪廻転生の世界が、【 ホラー系列 】に集中するのは、やはり、人間の【 未知なる自然現象の恐怖 】の心理から、その源が発祥されていると、僕は常々そう思っている。

実際には、この【 生命 】や【 宇宙 】が【 誕生 】したのも非常に神秘かつ【 不可思議 】な世界ではあるが、その大自然の【 法理 】と【 法則 】から深く洞察すれば、人間の頭では知られざる世界の【 真実の法理 】の中で、実際にこの【 輪廻転生 】の現実はあるようにも思えてならない。人間の心の【 生命 】は、大宇宙と同じようにその大きさは【 無限 】であると現代の種々の研究でも、大きな【 研究課題 】として取り上げられているが、現代の優れ極められた【 物理学 】と【 科学 】の【 英知 】を駆使して、その人間の【 誕生 】の【 理論 】は公開されていても、【 生命論 】の【 世界 】はまだまだ未知な部分が多く、その大部分は【 草創期 】の闘いだと言っても過言ではないだろう。

小さく言ってしまえば、この【 輪廻転生 】の世界は、人間の深い洞察の【 悟り 】から【 観えた 】世界ではあるが、これは、仏教観念の【 解脱 】の領域に達しなければ、解らない・・・正確には【 実感 】できないと言われているのが【 普通 】の見解だとしても、この【 解脱 】とは仏教や宗教を試みる方々しか【 体感 】出来ないのかと言うと、それは僕は【 NO! 】だとはっきり断言したい。

人間は誰でも常に【 すべてを思考や視察、そして洞察 】をしている。【 解脱 】と聞くと本当に超自然的な言葉に聞こえてしまうが、その分野に詳しい【 分析誌 】や、詳しく解説された【 経典 】の解説内容を読み、よ~くその文章を読んでいくと解る時がある。これは僕にとっては大きな【 発見 】ではあったのだが、【 悟り 】や【 解脱 】とは、すべての人々のその【 生活 】の中で、いつも【 繰り返されている 】と僕は申し上げたい。

つまり、人間は、常に【 幸福 】になりたい・・・と悔やむようにいつも念じている訳だが、例えば、常に僕みたいに(苦笑)【 反省 】と【 後悔 】ばかりを振り返る人間は、特に【 失敗 】を【 教訓 】として生きて、いつも【 未来 】を見つめ生きている訳だが、その【 失敗 】を機軸に【 幸せになりたい 】と思い、【 正しき判断 】に達し、現実の生活で、それを実行に移した時のその瞬間の【 智慧 】こそ、【 悟り 】であり【 すでに解脱 】なのだと僕は皆様に申し上げたい。

それは本当なのかと言われそうだが(苦笑)、これはよ~く、試行錯誤すると理解できる事なのである。【 悟り 】や【 解脱 】と言えど、その【 発祥源 】は、やはり【 人間の頭と心 】なのである。仏教の次元になってまうと、人はあまりにも難しく思ってしまう傾向性があるが、種々の【 経典 】に書かれている【 物語 】は、まったく現代人の生きる方程式と同じで、一切が人間の【 毎日の生活 】の中に、その【 悟り 】と【 解脱 】を繰り返しながら我々は生きているのだと申し上げたい。

【 輪廻転生 】の世界は、【 未知 】なる世界だが、僕が【 知る限り 】では、僕もこのブログを読まれている方々も、間違いなく、次の【 来世 】も【 日本国 】に生まれ、【 日本人 】として生まれてくるのは【 決定 】している事であり、もし【 地球が消滅 】してその存在が【 無い 】ならば、次の来世は、どこかの【 星 】の同じ環境条件の星に、【 生命 】を宿し生まれてくるのだと言う事を僕の結論として、今回の分析ファイルの終止符としたい。

今回も最後まで読んでくれて、本当にありがとう。

僕はよく解る事ですが(笑)、やっと【 秋 】が近づいてきました。少しづつ少しずつ、季節が変わっていくのと同じように、僕たちの心も少しずつ【 秋 】になっていく感覚は、自然界と共に常に【 生きている 】と思いしました。

じゃぁ、またね! (^○^)/





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人間の素直な心はすべては小さな所から全部が始まっている♪
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

今回は、本当であったら他の【 テーマ 】を準備していたのだが、実は、僕が登録している【 お気に入り 】のブロガーの女の子が新しく更新した【 ポエム 】を読んで、僕自身がすごく感動をした【 詩 】を載せていたので今回は急遽テーマを変更した次第である。人は、ちょっとした【 縁 】や【 きっかけ 】で、人生を大きく変えていく瞬間が起きる時がある。その女の子はまだ10代の女の子ではあるが、僕が判断するには、非常に【 ピュア 】な心の持ち主と思っている。

人間は大人になると、少年少女の頃の気持ちは少しずつ忘れてしまい、いつしか【 汚れた 】心の視野で社会を見つめ、人と接するようになってしまうのは、非常に残念な【 性 】だと常々僕は思う時がある。今回は、その女の子の【 詩 】から非常に【 大切な物 】を学ばせて頂いたと自分は思っている。今回、僕は、その女の子に心から感謝をしたいと思う。


それでは、今回の僕のテーマは、現代の民衆の心の底流で、いつの時代にもその灯火を保ち続けている【 ポエム 】をテーマに、自分の知識の知る限りの知恵を絞りつくした分析ファイルの記事を今回は書きたい。

【 ポエム 】・・・。つまり一般に言う【 詩 】の世界であるが、実際のところ、僕は【 詩 】の世界はあまり【 縁 】がない男である。確かに活字を書くのは得意ではあるが、人の心に届く文章はまだまだ未熟だと自負している。今回は過去に学んだ【 記憶 】をたよりにこの記事を書くので、間違っている記載をしてしまった場合は許していただきたいと思う。そこの所は、どうかご了解願いたい。

最近では、本当になくなってしまったが、10代半ばから家出をする20歳未満の僕が学生だった頃、これは今でも変わらない事ではあるが、よく本屋や図書館で時間を見つけては坦々と読書をしていた記憶が、鮮明に今でもこの脳裏に残っている。またこの時期の夏場は特に、涼しい図書館で休みの日などは朝の開館と同時に夕刻の閉館まで、ずっと本を読んでいた記憶がある。その中で、一時ではあったが、【 川柳 】にハマリ、この【 詩 】の事を日本史やら専門誌を、とことん読破していった時期があったのを今から考えると本当に懐かしい・・・。

これは記憶を頼りに書いているので、忘れてしまっている所も今ではあるが、【 詩の世界 】を【 形式的に分類 】するれば、下記の数だけあったと記憶している。

【 定型詩 】【 和歌 】【 短歌 】【 連歌 】【 俳句 】【 川柳 】【 琉歌 】【 四行詩 】【 漢詩 】【 古体詩 】【 古詩 】【 楽府 】【 今体詩 】【 絶句 】【 律詩 】【 自由詩 】【 散文詩 】【 韻文詩  】【 劇詩 】

の分類があったと記憶しているが、まだ数個ほどあったようにも思える。また、【 描写による形式の分類 】をすれば、【 抒情詩(叙情詩) 】【 叙景詩 】【 叙事詩 】に分かれたと記憶している。

一般的に、世間で愛好されているのは、【 和歌 】【 短歌 】【 俳句 】【 川柳 】【 自由詩 】【 定型詩 】なとが、一般的で【 主流な詩 】だと僕はそう思っている。その中でも、この近年は、【 川柳 】は、よく目立った【 詩 】なのではないかと確信する次第である。この川柳は、各雑誌で川柳版の特集があったり、最近では、某メーカーの缶コーヒーや缶ジュースや、お菓子の箱の裏側、ポテトチップスの袋の印刷に、この【 川柳 】がよく記載されている事がよく目立つ。

【 川柳 】とは、五・七・五の音を持つ日本語の詩の一つであるが、その特徴は、【 口語が主体 】であり、【 季語や切れの制限 】もない。字余りや句跨りの破調や自由律もみられる時がある。また同じ音数律を持つ俳句とともに、【 連歌を源 】として【 付け句 】からあらかじめ用意された、七七を省略し、五七
五として独立したと確か記憶している。江戸時代の前句師の柄井川柳が選んだ句の中から、呉陵軒可有が選出して『 誹風柳多留 』(はいふうやなぎだる)を刊行し、盛んになったことから、【 川柳 】という名前で呼ばれるようになったと記憶している。

また、これは自分が読んでいる新聞から読んだ、最近の記事に書かれていた事ではあるが、ここ数年、【 愛好家 】の中で、【 近代詩 】と呼ばれる【 詩 】も少しずつではあるが、流行りつつあるそうだ。【 近代詩  】とは、【 伝統的で文語的な定型詩 】では、近代人の自由な感情や意思を表現できないとし、【 日常語 】を用いた【 自由詩 】の事をいうようだが、その内容も【 花鳥風月や英雄譚 】から【 脱却 】し、より【 日常的で社会的 】なものが好まれるようになったとの事である。

欧米では【 シェイクスピアやダンテ 】など、ルネサンスにまでその萌芽を辿る事が出来るが、日本では【 明治期 】から、その影響が広まったそうである。また、【 日本の近代詩 】は、厳密な内容区分より、【 時代的区分 】の意味合いが強く、【 明治から昭和初期 】にかけての【 詩 】を、【 近代詩 】と呼ぶ事が多いとその新聞には記載されていた。日本語の【 標準化 】と共に、現代日本に広く普及している【 標準語詩歌 】は、この時代に作られたものが多いそうである。そして、【 近代詩人 】として有名な方々は、【 島崎藤村 】【 室生犀星 】【 萩原朔太郎 】【 高村光太郎 】【 立原道造 】【 宮沢賢治 】【 北原白秋 】らが有名な著名であると記憶している。

また、最近では【 現代詩 】というのもたまに耳にする時も増えてきたと実感している。【 現代詩  】 は、【 近代詩の形式主義化や耽美化 】などへの【 反省 】により、20世紀初頭に生まれた詩をさす。【 現象学 】【 実存主義 】に影響を受けた【 哲学的な内容 】や【 性や暴力 】など【 近代詩 】が扱わなかった【 タブーへの切り込み 】、日常とかけ離れた【 特異な言葉遣い 】による【 異化作用 】などが特徴的であるが、欧米ではウィリアム・イェイツ等によって【 創始 】され、日本では第二次世界大戦以後に盛んになったと言われている。その先駆者としては、【 川路柳虹 】が【 代表 】として示される時がほとんどである。

【 現代詩 】は、各詩人詩人によって【 作風 】が大きく異なり、共通するものが少ない【 分散性 】が現代詩の一つの特徴としてあげられるが、あえて【 共通要素 】をあげるとしたら、【 私的性 】が強い事があげられると言えよう。【 近代詩 】が社会的、共同体的な要素が強かったのに対して、戦争という大量殺戮をへた現代詩では自分にとって【 社会とは何か!?】【 思想とは何か!? 】という反省が表面にでて、それは俳諧や短歌の【 写生論 】と結合して、日常の中に【 哲学的深み 】を見出し、それを徹底して自分という【 プライベートな観点 】から咀嚼する、という作業が行われるとい点が大きな特徴と言える。

また、【 近代詩 】によって既に日常言語が手垢にまみれたモノになったため、【 現代詩 】は【 奇抜な言語表現 】や【 隠喩 】に頼らざるを得ず、初期でこそ形式に縛られない、【 独創的な表現 】が頻出したものの、その【 隠喩 】がまた手垢にまみれるにつれ、詩人はさらに【 新奇な表現 】を求めざるをえず、【 現代詩 】は【 難解で尖鋭的 】なものになってしまったと言える。80年代~90年代にかけての、【 ねじめ正一 】や【 谷川俊太郎 】らの【 ナンセンスな詩 】に、その傾向の頂点を見る事ができると僕は思っている。

しかし、これら現代詩の手法もまた、【 形式化 】【 固定化 】してしまい、【 現代人の心情 】からかけ離れたものになってしまったと思っている。【 詩作 】というものは、気軽に行えるものでも、ありのままにでも【 なく 】、【 奇怪で独善的 】な【 詩的境地 】に自己を落とし込まないと書けないという詩の【 矮小化 】が生じてしまったのである。そして、【 私秘性 】【 難解性 】から【 現代詩は生命力 】とも言える骨格を失い、各詩人が孤立して先細るという状態が現れ、それを打破しようと【 集団無意識 】や【 民俗の世界に回帰 】しようという動きが、【 形式的な伝統詩 】を復活させようという動きが、現代のインターネットを利用とした【 コラボレーション 】の動きが見られるが、その行き先は実際の話、【 未明 】であると、僕はそう思っている。

まあ、ここまでずずっと、記憶している【 詩 】の情報を綴ってはみたが、原稿で実際に書いて読むと、本当に【 詩 】の歴史は奥深く、人間は色々な手法や手段を用いて、心の【 何か 】を常に【 表現 】しようと努力して、人間の【 本来の生き方 】を【 詩 】の世界にあてはめて、我々は今日まで栄えてきたと実感し確信する次第である。

活字の世界から、人の心・・・正確にはその本人の【 本心 】を汲み取るのは至難の業と言えるかもしれないが、【 詩 】の【 本質 】には、人間の【 本当の願い 】が無限に詰まっていると、僕はそう皆様にお伝えし、今回の分析ファイルの終止符としたい。


最後に、【 ピュア 】な女の子へ一言贈りたいと思う。
そのままの心で、大人になれたら、君は本当に素晴らしい【 女性 】になり、この先、たとえどんな前途多難な人生が待っていようとも、必ず後悔のない素晴らしい人生を送れる事は、【 間違いない 】と僕は確信しています。

君の素晴らしい人生に【 栄光あれ♪ 】と、僕は君にその言葉を贈りたい。

じゃぁ、またね! (^○^)/





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仕事とは縛られちゃうから本当の真理を感じちゃうの♪
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

外気温はまだまだ暑いと実感しつつ、日々、仕事をしていても先日の【 立秋 】から変に意識をしているせいか、この原稿を書いている11日は、少々秋らしさを感じる気温になってきていると確信する次第である。その真理がすぐわかるのは、僕の部屋にはエアコンがな~い!(笑)
_(.・)/ ドテ

僕はこの数年、エアコンがない生活をしている。同居している妹と彼氏がいる部屋にはエアコンがあり、毎日、昼も夜も快適な空間であるが、それと比べるとこの僕の部屋は、天と地獄の日々・・・。(苦笑)

ムンムンとする世界で、僕はいつも日々、在宅の仕事を坦々とこなしている。先週は暑すぎて(笑)とうとう耐えられなくなり、2、3日間だけはダイニングキッチンの方で仕事をしたが、それ以外はほとんど自分の部屋の扇風機の前で仕事をしている。実際には人間は体内の循環や新陳代謝をよくするにはエアコンの環境下では過ごさないほうがいいと言われているが、現実の話、現代社会のその【 実態 】の環境下ではエアコンがないと、仕事に【 支障 】がでる会社が非常に今の社会は多いと思う。

また、近年は、【 平等化 】が進んだり、よく【 主張 】されている傾向下にあるせいか、障害をもつ方々の為に、【 室内温度 】は特に気をつけている会社が増え始めていると、先日、あるコンビニで立ち読みした週刊誌に掲載されていた。また、心の病をもつ方々の為に、仕事を円滑に行ってもらう為に、【 室内の温度 】には、充分気を配っている会社が増え始めた事は、ある意味、非常によい傾向性であると僕は思っている。

すべての人々に【 職 】を与える・・・これは素晴らしい事だと実感する次第である。この事により、大きくは社会を豊かにして、小さくは、その働く人々の生活、そして【 質 】すらも豊かになり向上できるその【 会社の功績 】は、僕はいずれ、国や社会が何らかの形で、しっかりと認めなくてはいけない現実が、将来必ずやってくると確信するに至っている。

今回はこの原稿を書き始める前に行った事ではあるが、2通のメールを受信した。その中で【 哲学 】に関する内容のメールをくれた人は、本当に鋭い感性と眼を兼ね備えた方だと僕は実感した。今回メールくれた方々にも、誠意をもって、後日ご返信をしたいと思っている。

今回もメールをくれた方々、本当にありがとう。

それでは、今回の僕のテーマは、この暑い時期、本当に意識して気になってしまう、仕事上での【 拘束 】をテーマに、色々な角度から分析した記事を書きたい。

【 拘束 】・・・。
僕は正直なお話、この【 拘束 】という言葉は好きではない。もともとこの拘束という言葉は、【 監禁 】や【 留置 】等の言葉から使われる意味合いの属性をもつ言葉ではあるが、現実には、現代の社会情勢の状況下が大きく影響を及ぼすせいもあり、各会社の長い拘束時間を意識する為か、近年のサラリーマンからよく出る言葉だと僕は実感している。

また、この【 拘束 】という言葉は、僕がこの仕事をやりつつ、前回退職したバイト先は運送関係の仕事に勤務をしていたが、仕事内容があまりにも【 過酷 】な為か、その長い拘束時間を苦に感じるメンバーが多く、よく折りあるごとに【 拘束 】という言葉を口に出しては、たむろった集団のメンバーの話題の【 愚痴 】として、この【 拘束 】という言葉をだしては日々めげていたのを思いだす・・・。(笑) これは、僕が社会に出て24年間という長い年月を通しての所感であるが、一時、この【 拘束時間 】や【 拘束 】を本当に意識した年代や時代が僕の中にはあった。その中の10数年は、家出の逃避行の時期があったので、誰にも頼れない、一人だけの自立の【 闘い 】が強かったせいもあり、僕の中では【 自立心 】は本当に旺盛に養われたと日々実感している。

しかし、このブログの折々の記事でも書いているが、仕事・・・正確には【 働く 】という事は、本当に人間にとって大切な事であると常々思う次第である。【 働く 】というその行動の中に、人間は【 人生 】を生きる上で、最も重要な【 自分の存在意義 】を知る事ができるからである。そして種々の会社で【 拘束される時間 】の中で、人は常に【 社会と自分 】【 人生と自分 】を真正面からとらえ、常に【 考えさせてくれる 】重要なヒントをこの【 拘束 】される時間から、その人の【 境涯 】の次元で【 何かを悟る 】事ができるからである。

確かに実際の話、人は【 働く 】という事が好きではないかもしれない。現実に過去の人生の折々の【 飲み会の席 】で仕事の話を通して、この【 拘束時間 】の事について色々な論議や意見を交わした事があるが、会社においてこの【 拘束 】される時間の中には沢山の【 意味 】が隠されている。【 社会貢献 】【 団体行動 】【 個人の実力の向上 】【 モラル 】【 法律との隣合わせ 】【 過去の教訓 】【 時代背景 】【 現実社会の実態 】等など、この一例はほんの一握りの一瞬の断面であるが、その他にもたくさんの【 意味 】が人間として、そして【 普通の人 】として生きていく上で重要な意味がこの【 拘束 】という言葉に隠されている。

だが、【 拘束 】という言葉を如実に口に出してしまうと、人間は何故かそれを【 息苦しく 】思ってしまう傾向がある。それは、常に人間は心の奥底で【 自由になりたい 】という【 反発 】を意識した心の欲望が存在しているからである。しかし、この日本のありとあらゆる場所を探しても、実際には【 自由 】などという世界は、どこにも存在しないのは確かな事実ではあるが、ある本で僕はこの【 自由 】をテーマにした内容を読んだ事がある。

【 自由 】とは、常に人間の意識の中に存在はしているが、現実に【 自由 】を手にしたその者の人生は、そこから【 堕落 】という永遠の闘争が始まる時でもあると・・・。これは、あまりにも簡単な表現ではあるが、まともに人間の欲と心理をついた文章だと言える。人間はいつも自由でありたいと考えるが、自分に【 拘束 】という場を与える事によって、自律を正し、人間として【 自分を悟らせる 】役目と【 必然性 】を本質的な部分から知る上でも、この【 拘束 】という世界に自分から身を投じる事によって、【 生きているんだ 】というその【 喜びを知る 】事ができるのである。

こんな事を書いてしまうと、日々ご苦労をされている方々に大変失礼かとは思うが、僕の今の仕事は【 拘束 】という面から考えると結構楽なものが存在している。仕事内容はWeb上ですべて納品ができ、トラブルがあった時だけ出勤する体制なので、変に【 束縛的 】なものを感じる事は少なくなったが、過去の毎日決められた通勤時間と、会社での拘束を伴う仕事をしていた時期から比べると、二つだけはいつも自分に厳しく律しなくてはいけない事が出でくる。

それは、【 時間 】と【 規則性 】だ・・・。今の仕事は時間と規則だけは自分の思った通りに出来る面は非常にありがたいのだが、ふとした弾みで気が緩んでしまうと、昼と夜がずっと逆になってしまったり、何時間も自由に睡眠がとれる事によって、惰眠の日が続いてしまったりする事が出てきてしまう。この在宅ワーカーの業界に入った当初は、本当にこれらの事で悩んだ事が多かった。また【 集団 】から【 離れた 】事によって、【 自己中心的 】な考えに陥る事も多くなるので、【 人の苦労の気持ち 】が理解しずらくなる事も多々出で来るので【 ニュース 】を観る事や日々の【 読書 】は一段と多くなったのも事実である。

また、【 人の観察 】もよく行うようになったのも事実な話である。この原稿を書いている自宅付近には、意外と人の働く姿を目にする事ができる環境の会社がたくさん存在するせいか、自動車整備工で働く人の上司から叱咤されている姿や、ガラス張りの室内で働く方々の様子や、パソコンを眺め、ポカ~ンとした表情で何やら考えている様子など、自然とその光景を目にするようになった。

言葉は違えど、昔から【 人間ウォッチャー(観察) 】は【 大切 】だという話を折々で聞いた事があったが、この在宅の仕事をはじめてから、本当に【 その意味 】が根本から理解する事ができるようになった。ただ、仕事の関係から、まったく自宅からでなくなるような【 引きこもり状態 】に陥る時が多々出てくるので【 気分転換 】として、【 意識 】して外には出るように常日頃、自分から心がけているようにはしている。

また、あまり外に出ない日が続くようになると、恐ろしいかな、同居している【 妹 】は介護士の仕事をしているせいもあり、【 何かの危機感を感じる 】らしく、よく注意を受ける事は、僕にとって大変ありがたい環境と存在であると日々思うようになった。【 好きこそ物の道理かな 】という言葉があるが、妹の仕事も時間的に【 不規則な拘束時間 】の中で日々ある病院で働いているが、妹は本当に介護という仕事が【 天性 】の仕事と本人も自称し、仕事上で嫌な事も多々あるらしいが、【 喜びいさんで 】毎日、寝坊もせずに働きに出ている。

僕も同じである。現在の仕事のスタイルは非常によく自分に【 フィット 】している。またパソコン狂信者でもある自分にとっては、この上ない天職だとも思っている。ただ、今の仕事は契約後に【 トレーニング 】を終えた後は、一切自分の【 力 】で仕事上でのトラブルは解決しなくてはいけない【 闘い 】がある。そのトラブルは【 自分のパソコン側 】なのか、それとも【 オンラインの通信状態 】なのかとか、【 相手のシステム側 】の【 エラー 】なのかをすべて自分の知識の【 判断 】で処理をしなくてはいけない。

【 拘束 】という世界は、現代社会において【 自分を知る 】上で最も大切な【 役割 】を果たしているが、目に見えないその【 根本 】は、どの分野や世界においてもまったく【 無意味 】なものではなく、逆に【 最も重要 】で、自分の【 立場 】と【 人生の意味 】、そして【 自分の存在 】をしる上で最も重要な【 意味 】を果たしているのが【 拘束 】なのだという事を今回の僕の結論として、今回の分析ファイルの終止符としたい。

今回も最後まで読んでくれて本当にありがとう。

このブログを更新した後に、今度は意識した自分の時間として、また【 北斗の拳 】を二時間ほどプレイした後に、本日の僕の一日が終了かな♪(笑)

じゃぁ、またね! (^○^)/





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たとえオンラインであろうが売られた喧嘩はいつでもどこでもアチャチャチャチャチャーッ!
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

この原稿は、すでに翌日となってしまったが、この二日間、僕はオンラインで白熱の戦いを繰り広げていた。(笑) まあ、ブログのいいテーマ作りなので、自分から売られた喧嘩を買ったのだが、結果は大満足の大勝利に終った。(笑)

実は、一昨日、妹の彼氏から、『 お兄さん、安い金額でオンラインで賭け事の勝負をしませんか?  』というお誘いがあった。このブログでも、何度かご紹介しているが、僕と妹の彼氏は、大のパソコン好きで、オンラインはすでに【 依存 】状態である。(笑) 必ず一日一回はオンラインに接続して、この広大な電子の大海原に出ないと、もう、腕も胸もうずうずでキュウキュウの状態になってしまう。(笑)

別に断る理由もないし、けっこう暇をしていたので、気前良く僕は、『 いいよ、何で勝負する? 』と、言ったところ、妹の彼氏は、『 北斗の拳SEのパチスロでどうでしょうか? 1コイン一円賭けで? 』と言って来た。僕はそれを聞いて眼が燃えるように光ってしまった。(笑) 実際に僕は賭け事は、ブログでもご報告している通り、【 民族の大移動 】の時にしか、基本的に賭け事はしない。しかし、オンラインは僕にとって別の問題であった。(苦笑)

無性に心の中で【 かき立てられる 】何かがあった。この事は彼氏は知っていたが、妹は知らない話である。僕と彼氏は、【 オンラインゲーム 】が目茶目茶好きで、特に【 オンラインのギャンブル 】は大好きなのである。(笑) で、よく時間を見つけては、【 777タウンネット 】というサイトからクライアントプログラムをダウンロードして、そのソフトを立ち上げて、僕と彼氏はよく【 北斗の拳 】のパチスロを、オンラインのパチンコ店でほぼ毎日数時間もやっている。(笑)

僕は、【 目押し 】は、得意中の得意だから、この【 売られた喧嘩 】は絶対に引く事ができなかった。【 ブログの更新 】も頭の片隅では気になっていたが、【 お金 】がかかったとなれば話は別・・・。(笑) もう、徹底的にガンガン、夕食が終了次第、僕と彼氏は、会員制のよく行く【 VIP店 】のところで、【 店内では座席も隣同士 】で、現実の部屋は別々に分かれオンラインの世界で、チャットをしながらこの二日間のミッドナイトバトルを繰り広げた結果、運が良かったのか【 絶好調 】で【 777 】の大当たりが、連発につぐ連発で、大儲けをさせてもらった。(苦笑)

まあ、一人ぼっちになってまった妹は、この原稿を書いているノートパソコンからオンラインに接続をして、この二日間、妹も同じ店内で【 会員登録後 】にパチンコをして遊んでいたが、やはり、【 現場なれ 】しているせいか、妹もオンラインのパチンコは絶好調で、かなりの大当たりを連発して楽しんでいたようだ♪(笑)

この二日間、妹の彼氏は、【 惨敗 】の結果に終わり、僕は、彼氏と清算してデータの数字(コイン数)を換金してもらったが、この二日間で、約6千円を儲ける事ができた。ほんとに超~ラッキーな二日間であった。また、【 北斗の拳 】の音楽が、僕の闘争心をかきたてて、また違った意味での【 至福の時間 】であったと思う。このブログを読んでいる方も、【 オンラインゲーム 】が好きな方は、ぜひ、【 777タウンネット 】を一度試してみてはいかがなものでしょうか?

ゲームに制限はあるが、【 無料 】で一部の店内でプレイが出来るし、【 カードの支払い 】にすれば、一ヶ月、1000円~1800円のプラン内で遊べ、店内の座席に着くまでの流れもなかなか凝った作りで、【 現実の現場 】に激似状態なので、【 好き 】な方は、かなりハマルのは間違いなしだと思っている。ちなみに、このゲーム内の僕のハンドルネームは、【 仁徳 】なので、もし運良く店内で出会ったなら、気軽にチャットを通し声をかけてくださいね♪

ご報告の前置きはこのくらいにして、それでは、今回の僕のテーマは、【 オンラインゲーム 】をテーマに色々な分析をした記事を書きたい。

【 オンラインゲーム 】と言えば、現在はブロードバンドの大発展で、本当にその数も、2004年頃から凄まじく激増したと言ってよいと思う。去年の初めから【 注目 】され始め、各メディアを通し、皆さんも何回かは耳にしたとは思うが、【 セカンドライフ 】という、【 バーチャルシュミレーション 】の情報は知っているかと思う。この【 セカンドライフ 】は、実際の話、【 ゲーム 】の次元の領域ではない。【 現実社会 】をそのままオンラインの【 仮想現実 】のバーチャルの世界で立ち上げた、【 大規模 】な【 バーチャルシュミレーション 】である。

今年の初めに、各インターネットの情報雑誌を通して、この【 セカンドライフ 】の【 日本語版 】が出るという情報が流れていたが、皆さんはご存知であろうか? 今年の初めはこのセカンドライフも、もの凄い人気がでるほど情報を流し、【 日本語版 】ももの凄く騒がれたが、その【 公開 】は実際には、【 ひっそり 】と公開され、【 公開されたその事実 】をまだ知らない人も現段階ではいると僕は思っている。現在、この【 セカンドライフの日本語版 】は、【 ベータ版 】としてすでに発表されている。

実は僕はその情報を知り、その【 ベータ版 】なるものをサイトからダウンロードしインストールをして、実際に昨日(10日)、在宅の仕事の終了後に1時間半ほどプレイをしてみた。実際のところ、【 日本語版 】といっても、ソフト全体の至る所に【 英語 】があり、プレイする上で【 重要な個所 】だけは【 日本語 】になっているのがソフトのGUI(グラフィカルユーザーインターフェイス(見た目))の印象であった。

そして、実際にはその機能はまだ充分に知り尽くしてはいないが、【 国 】となる【 マップ 】も、まだ【 決められた島国内 】だけしか【 浮上して飛行 】ができない。僕は雑誌にでていた【 日本国 】の【 場所 】に【 移動 】して歩きながら散歩したかったのだが、それは今回のプレイではできなかったのが残念であった。実際にはまだ充分にそのソフトの内情を見渡していないので、もしその【 日本国のマップ 】に行けるメニューがあったならば、この記事は不十分なので許していただきたいと思う。

今回は、一時間半のプレイではあったが、充分にその【 雰囲気 】は堪能できた。ただ、パソコンにウィルスバスターを常駐させてプレイをしていたので、少々3Dの動きが体感速度的に【 遅く 】感じてしまったが、まあ今回は【 雰囲気 】を味わうためのプレイだったので、【 充分な結果 】は得られたと僕自身は思っている。

ただ、この【 セカンドライフ 】をプレイするにあたって、その【 動作環境 】は、かなり高いスペックになっている。最低でもCPUはペンティアムⅢの800Mz以上で、メモリは500メガ以上を搭載していないと、3Dの動きは、【 快適 】ではないと思う。現実のお話、最初はこの原稿を書いているノートパソコンにインストールして、真夜中にプレイをしようと思ったが、スペックが足らず、ソフトすらも立ち上がらない現象が起きてしまい、やむなくハイスペックのデスクトップパソコンにインストールをした訳だが、それでもメモリは1ギガも積んでいたが、【 動作 】は快適ではなかったのがちょっと残念であった。

まあ、実際にはグラフィックボードは、マザーボードと一体型の【 オンボード 】の製品なので、これがまた別付けのグラボだったら、快適に動作したと僕は思っている。また、この二日間、【 彼氏との賭け事の戦い 】もあったが、このブログを更新する【 テーマ 】の関係上、僕自身が【 興味 】をもったオンラインのRPGゲームとかもプレイしてみようと思い、人気ある無料の【 RPGオンラインゲーム 】をインストールしてみたが、これには実際の所、驚いてしまった。

現在では、それが【 普通 】だと僕は結果的に思った次第ではあるが、プレイ前にソフトのダウンロードまでは、よかったが、インストール時の膨れ上がった【 容量 】にはほんと驚いた。(苦笑) インストールの時間があまりにも【 長く 】かかるので、もしかしたら【 フリーズ 】しているのかと思ったくらいではあったが、意外にも(苦笑)インストールの途中である警告のウィンドがでて【 ハードディスクの容量が足りません。ハードディスクの容量を開けてから再度インストールを開始してください 】というメッセージが出たときは本当に驚きであった。

そんなバカな! と思いつつ、ハードディスクのインストールの容量状態を調べたらなんと、途中状態でも【 容量は5ギガ!? 】であった。これには本当に驚いた次第である。(苦笑)

本当に、現代の【 美しい 】ビジュアルをもつゲームほど、やはりその【 容量 】も食ってしまう現実に、少々びっくりもしたが、何となく、今回の最新のOSである【 VISTA 】の存在とスペックがやっと実感としてわかったような気がした。やはり、メディアが発展すれば、それなりの【 容量 】やスペックも必要になる現実は今後も変わらないと思う次第である。

しかし暑い・・・。
バテてしまいそうであるが、このブログを読まれている皆さんも、【 熱中症 】には充分に気をつけて、残りの残暑もがんばって元気に乗り切りましょう!


じゃぁ、またね! (^○^)/



僕のオンライン情報

777タウンネット(サミー)
http://www.777town.net/

セカンドライフ日本語ベータ版
http://jp.secondlife.com/






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人間だから燃えて燃えてとことん常にハングリー!
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

本日は、僕の最も信頼する青年から携帯電話の方に一通のメールが届いた。実際の話、僕自身は忘れていた事ではあったが、この原稿を書いている本日は【 立秋 】だ、暦では秋・・・。先月の下旬に、やっと梅雨明けだと思ったのに、もう秋・・・。自分に『 おいおいマズイぞっこれは! 』と言い聞かせ、惰性になっている心の甘えを正したが、現実は、常にベストに生きるだけが精一杯の自分が、本当に虚しく感じる時が最近は多くなってきているように思う時もある。(笑)

常に自身の目標を掲げがんばらなくては!
p(^^)q ガンバじゃ!

それでは、今回の僕のテーマは、現代人の心の中では、少々忘れ去られてしまっている傾向性にある、【 ハングリー精神 】をテーマに、色々な角度から分析した記事を書きたい。

【 ハングリー精神 】・・・。
すでに【 近年 】という言葉を使ったほうが、今回のテーマにはふさわしく思うような気がするが、ここ最近は、本当にこの【 ハングリー精神 】という言葉が失われつつある【 時代 】に突入したと言ってもよい時代になってしまったように思える。その良い【 例 】がある。

それは、ボクシング関係のどの専門雑誌のページをめくっても、この【 ハングリー精神 】や【 ハングリー 】という言葉が、めっきり激減しているように思えてならない。まあ、現実の【 現場サイド 】においてはその【 言葉や表現 】は使われていると確信はしているが、現代の雑誌等には、この言葉をあえて【 使わない 】【 風潮 】になってしまったように僕は思えてならない。

昭和時代は、本当にこの【 ハングリー精神 】という言葉は、頻繁に口にされたり雑誌等でも、昔流に表現すれば、【 スポ根 】というスポーツをテーマに【 熱血ど根性精神 】の物語がマスコミ等を通じで流行した為、昭和後期にかけて、この【 ハングリー精神 】という言葉は、本当によく頻繁に一般民衆の耳に届けられていたと思う。

では、この【 ハングリー精神 】は、現代の民衆の心から、【 消えうせようとしているのか!? 】と言えば、それは明らかに『 NO! 』であると僕は断言したいと思う。その証拠たる【 現象 】に、【 現代の若者 】の【 日々の行動 】を、よ~く観察すれば解る事ではあるが、現代の若者は【 言葉に出さず 】、一人坦々と【 心の中でその精神を燃やし続ける 】タイプの若者が【 激増 】したと言ってよいと思う。

また、時代背景の【 水準 】もそうであると思う。末端の現実をよく観察し、視野に入る物事を深く洞察すると理解できる事ではあるが、現代の主婦から日々聞こえてくる【 教育レベル 】においても、【 教育方針 】を見つめても、公の表面上には出てはいないが、その【 底流 】の次元において、【 自然体の形式 】で、現代はこの【 ハングリー精神 】を【 養っている 】というのが、正確な見識の視野であると僕は確信する次第である。

今回のこのテーマの記事は、すべて【 良い次元 】の分析にとどめようと思っているが、【 ハングリー精神 】とは、歴史の分析誌や映像等をよく見つめると、その具現化された【 真実の心理 】が見事に活字や写真、そして映像に出ているが、昭和初期の当時は、大きな視野の次元からは、個人の集合体が大きくそれぞれの双方で連なり、【 不景気 】を昇華させる為に、このハングリー精神が【 現場 】で培われていたと言ってよいが、この【 方程式 】に関しては、現代もそして、未来も【 普遍的 】に変わらない法則だと思うが、昭和中期からは、それが【 個人の欲 】にそのエネルギーの方向性をもっていく【 願望 】が、一般民衆の底辺で流れていたと僕は確信している。

そして、昭和後期から平成の初期にかけては、このハングリー精神は、その言葉が少しずつ【 失われていく現象 】が時代背景のなかに染まり、【 民衆の心 】からこの言葉が遠のいていく傾向性が現れ、2005年付近から、まったくこの【 ハングリー精神 】という言葉は、現代の一般民衆の【 耳 】からかけ離れてしまった【 時代 】に突入したと言ってよいだろう・・・。

しかし、この【 ハングリー精神 】という言葉は、あえて表現はされないが、今でも根深く心と行動に宿っている世界は、何といっても【 政治 】の世界にその【 姿 】は、現在でも【 健全 】に宿っているという事は、皆さんも充分にご承知かとは思う。

しかし、ここでひとつの大きな問題が出てくると思う。

【 政治 】の世界とは、小さくは【 自分たちの生活 】を少しでも【 豊か 】にする戦いでもあるが、それを受け入れる【 一般民衆側 】の方は、この【 ハングリー精神 】が乏しく欠けてしまっているせいか、現代では逆に【 保守的実像 】が表面上に大きく浮き彫りになり、その政治の【 声 】は届いていても、政治のその【 力 】は、充分に【 民衆 】の心に届いていない事実は、いつの時代背景にも存在はしているが、近年は特にその傾向性がひどいと言わざるおえない。

つまり、【 保守的事情 】が強いせいか、【 恐怖 】が一般民衆の心の底流に【 依存 】するかのように【 定着 】してしまい、何を聞いても、そして何を見つめても、【 信じられない 】現実の結果が、現代の人間の心の中に【 依存 】してしまったように僕は思えてならない。

話は善き次元の話だけにするが、【 ハングリー精神 】とは、強いては、個人の、そして大きくは、【 生活や社会 】を大きく改善し、良い方向へと【 転換する法則 】が【 必然的 】に眠っていると言える。これは、解りやすい【 例え 】をあげれば、【 活気 】がある所には、物質的にも【 栄えたり豊か 】になっている現象が、真実の姿として過去の歴史上にも厳然と存在しているが、逆に【 やる気 】を失ってしまった【 心の集まり 】の世界には、繁栄どころか、【 低下の傾向性 】ばかりが目立ち、よくとどまって【 惰性的な維持 】を永遠と続けてる現象が現れ、人々の心は悲しいかな、悪いときには【 落ちきる限度を知らない 】のが、現代社会の【 実像 】ともいえよう。

これは、平成の初期に書いてあった、ある雑誌の文面ではあるが、昭和中期以降から平成初期間での【 ハングリー精神 】の評論であったが、【 ハングリー精神 】とは、【 卑しき者の願望である 】という記事を過去に公開した雑誌があった。まあ、これは一概にも言えず、そして、確かに一理ある表現ではあるが、その雑誌は何を言いたいのかというと、【 ハングリー精神 】は、人間の欲望を剥き出しにして、【 醜い人間の様 】をありありと浮き彫りにしてしまい、【 人間本来の美しさをイメージダウン 】する言葉であると、批判的な評価を下した雑誌であった。

つまり【 知性や英知 】を薄れさせ、【 動物的本能 】が目立つ【 低級な生き方 】が目立ってしまう・・・という事を語っていた。しかし、僕はこの文面に対して、一つの【 意見 】をもっている。それは、ハングリー精神とは、【 現実のその折々の時代の実像 】をありのままに【 浮き彫りした精神性の世界 】であり、現実には【 その心 】が失せた時こそ、逆に【 知性や英知 】も同時に【 失せてしまうのだ! 】という事を僕は言いたい。

人間は、【 ハングリー精神 】が【 生きる要 】になっているからこそ、日本国は【 発展 】をして、逆に、【 日本人の英知や知性 】を【 世界各国 】にたらしめたその【 事実 】は、隠しようがない真実だと言っても過言ではないだろう。また、【 日本人の精神の象徴 】である、【 大和魂 】こそ、全世界の国々の民衆の心に必要な、【 強いエネルギー 】を【 蘇生 】させる【 根本の法則 】が眠っていると僕は確信する次第である。

これは【 深い精神性の次元 】のお話ではあるが、【 知性や英知 】が凄まじく【 増強 】すると、人間はいつしか【 強欲 】に心が蝕まれてしまう恐れがあり、【 卓上の理論 】で利益を生む傾向性の力が強くなってしまう。しかし、【 ハングリー精神 】とは、【 人間の根本 】から【 精神 】を鍛え上げ、【 荒廃 】した【 精神 】から【 健全な精神 】を培う働きがある事は、絶対に眼を背けられない事実があると僕は断言したい。

それは強いては、【 人間を強く 】して、【 地域を発展 】させ、行き着くところは、【 社会の根本の主軸 】の次元から【 好転換 】させてしまう【 現象が息を潜めている 】と申し上げたい。

よって、最後の僕の結論に移りたいと思うが、【 ハングリー精神 】とは、人間が生きていく上で、最も欠かせられない【 人類繁栄の精神 】であり、強いては【 競争社会を生み出す原動力 】であると申し上げたい。【 ハングリー精神の中 】には、【 人間とは何ぞや!? 】と知ることが出来る【 悟れるヒント 】が眠り、人間を【 昇華 】させる【 人間としての人徳の向上 】を多大に秘め、その精神性から【 現実社会 】に真正面から眼を向け、そして取り組む事によって【 人間としてこの世に生まれてきた、人生の真実の真理 】を知ることができる、かけがえのない【 源泉の精神 】であるのだ、という事を、僕の結論として、今回の分析ファイルの終止符としたい。

今回も最後まで読んでくれて、本当にどうもありがとう。

昨夜は、この原稿を更新したあと、最新の『 犬神家の一族 』の映画を観た。市川崑監督の映像美は健全ではあったが、物語の途中に出てくる【 スタジオでのセット 】は、どうにも頂けないモノがあった。(苦笑) 撮影の【 感性とビジュアル 】は、あまりにも現代のテレビドラマのようであったが、映画としての奥深い味わいは、今でも【 息づいて 】いたように思えました。

じゃぁ、またね! (^○^)/





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孤独を脱皮してもう一度生きがいの大空を眺めよう!
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

それでは、今回の僕のテーマは、現代の民衆の心に、毎日のように宿っている【 孤独と生きがい 】をテーマに、色々な角度から分析した記事を書きたい。

現代の人々の心は、本当に【 孤独 】が奥底に根を張り、誰人も自分は【 孤独 】だとどっかで思っている方々が多いと思う。この記事を書いている僕も、少し前の記事にも書いて公開したが、20歳で家出をして、【 家族 】を捨てた日からずっと、僕はこの歳まで【 孤独やひとりぼっち 】を嫌と言うほど味わってきた。社会に対してもそう。そして結婚してからや、職場においてもそう。僕はいつもどっか【 充実のない孤独 】が多大に多かったような気がしてならない。離婚してからは尚更だ。(苦笑)

また、僕は【 性格が個性的 】な為、職場でも意外と、周囲から避けられてしまっているような【 疎外 】を感じ、その中から、常に単独でいるような【 孤立 】を常に感じてきた男である。

【 人間の孤独 】とは、多くの動物と同じように、【 太古 】より人間は【 団体を組むことで生存 】してきた。そのため人間は現在【 遺伝的 】に【 社会的動物 】となっている。それゆえに、他人との接触を断たれると不安になる【 個体=個人 】が非常に多いように僕は思っている。これは他の【 情動を有する社会的動物 】に【 普遍的 】に見出される習性であるからだ。例えば犬は群から隔離すると仲間を呼ぼうと【 遠吠え 】をしたり、【 攻撃的 】になったりするが、社会を形成する種類のサルは、安心できる場所に【 隠れよう 】としたり、近くに人間がいるような場合には【 危害 】を加えたりすることもある・・・という事が専門誌に公開されている。

ただ人間の【 精神性】において、ある分析誌においては、【 孤独 】は必ずしもネガティブなものという訳ではないと説かれている。ドイツの哲学者マックス・シュティルナーが『 孤独は、知恵の最善の乳母である。 』という【 格言 】を残しているように、孤独状態において人間は、自分の存在、つまり哲学について考えることを強いられ、その結果、【 創造性 】【 想像力 】などにつながると多くの【 哲人 】は結論付けている。このような精神の働きは、【 心理学 】の側面から【 昇華 】と呼称され、文化や芸術における【 創作活動 】では、それから生み出された作品が数多く存在すると書かれていた。この中には、【 寂寞 】とした心理を表現したものから、より高次の存在を表したもの、または【 孤独 】によって【 いや増した愛情 】を、更に濃密に描き出したものなどがあるのも現実のお話である。

だから、そう言う意味から考えると、この【 僕 】も、孤独であるがゆえに、【 創造性 】【 想像性 】は、誰よりも強いかもしれない。過去の記事にも書いたが、僕は【 団体行動 】よりも【 個人的な行動 】を好むゆえ、自然とその感性を鍛えるために、年柄年中、試行錯誤を繰り返している。(笑)

しかし、本当に【 孤独 】とは悲しい。そして虚しい【 局面 】に陥る要素を多大に秘めていると言って良いであろう。自分だけの【 判断 】を頼りに【 すべてを切り開いて行く 】という、自らの【 使命 】を【 自覚 】し、そして【 決意 】を起こさねば、【 一切が変化 】していかない現状に生活が流れ、それはいつしか【 惰性 】へと突入して、その惰性に突入したのにも【 気が付かない 】時が、ほとんどである・・・と言っても過言ではないと思う。また、孤独であるがゆえに、現代の代表的な代名詞とも言える精神病の【 鬱 】になってしまう可能性も、現代の社会状況から考えると、多大にその【 不安材料 】や【 条件 】が、我々の周囲でモロにむき出しになっていると言っても過言ではないと思う。

では、その逆の精神性である、【 生きがい 】をつかむにはどうすればいいのだろうか?

これは、このブログを読まれている方々のほとんどの人が、【 日々 】考えている事であろうと僕は【 確信 】している。【 生きがい 】【 心の充実 】は、普通に生活しその【 確固 】たるのを待ち望んでも向こうからやってくるものではない。(笑)

【 生きがい 】という次元には、【 明日の輝ける希望 】や【 美しき未来の展望 】等が、いっぱいその【 生きがい 】の中に詰まっている。また生きがいを持つ事によって、自身の【 生命力 】は、【 飛躍的に向上 】して、【 何をやっていても楽しい 】という、心からの【 幸福感 】を常に【 実感する事 】ができる。

この【 生きがい 】をもつ事の第一歩は、僕の【 経験 】から言わせてもらうと、【 人生の目標 】【 当面の目標 】をしっかり【 明確 】に打ち立て、日々、【 坦々 】と己の【 決意 】と共に毎日を歩まなければ、その【 落ち込む心 】に【 現れない 】のが、【 生きがい 】というものであると、僕は【 確信 】する次第である。この事実は、ある分析誌を僕の経験から判断して読んだ分析ではあったが、やはり同じ事が書かれていた。

この【 生きる 】という端的な次元で、人の一生を見つめるならば、【 形は違っても 】【 その工程や過程 】は、一人残らず全員一緒だともうしあげたい。ただ、【 生きがい 】を発動する上で、一番のキーポイントとなるものは、やはり【 努力した後の結果 】が、どうでるかによっても【 生きがいの質 】が変わってくる。ここが非常に重要なポイントだと申し上げたい。

よって、僕の恒例な結論に移りたいと思う。ここまで申し上げた事は、すべて【 観念 】の理論上ではあるが、それを【 現実 】として【 行動 】を起こしたときに、その心中たる【 決意 】いかんで、その【 心で感じる結果 】は常に変わってくるが、【 孤独 】は常に【 鬱 】との戦いかもしれない。しかし、その【 鬱 】を根底的から打ち破るのもまた【 自身の心 】であり、生きるという何たるかを知る行動の中にある、その【 勇気 】に、そのすべての【 答え 】が隠されている・・・という事を僕の結論として、今回の分析ファイルの終止符としたい。

今回も最後まで読んでくれて本当にありがとう。

今回のこの原稿を書いてる夜中も、暑い・・・。
確かに昼間よりはましたが、それよりも僕はそれ以前に、【 生きているんだ・・・。 】という事を実感してやまない気がする。


じゃぁ、またね! (^○^)/





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僕は見てしまった・インターネット社会のオゾマシイ現実の姿を・・・。
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

まず、最初にお知らせをしたい。
昨日、僕が執筆をしている、連載小説・【 天使の指先 】【 前日2 】が公開されました。楽しみにしていた方々は、どうか読んでくだされば幸いです。

この原稿を書いている今日は日曜日。もちろん本日は仕事を休みにしているので、本当に久しぶりにゆっくり寝かさせて頂いた。(笑) やはり、いつも思う事ではあるが、人間は寝ているときが一番幸せを感じるのかもしれない。(笑)

最近、日々毎回思う事ではあるが、生きる上で、最も重要な事は何かといつも僕は思う。やはり、【 背伸び 】をせずに【 自分らしい生き方 】を愚直に実践して常にベストな毎日をおくり続けることが、最も人間にとって【 無理のない 】生き方のように、最近ではそれを少しずつ感じるようになった。

そういう意味からおいても、今回のテーマは、【 これ 】にしようと思った次第である。(笑)

それでは、今回の僕のテーマは、オンライン社会の中では近年、とくに個人の情報発信源としては最も欠かせなくなった【 ブログ 】をテーマに、色々な角度からその分析した記事を書きたい。

【 ブログ 】・・・。
今回のこの記事を読んでいる皆様は、色々な思考錯誤を練って【 個人の意思 】とする情報を、それぞれ発信しているブロガーの方々ばかりだと僕は常に毎回そう思っている。

では、この【 ブログ 】・・・。
今回は、この記事の原稿を書く前に、色々な情報をネットサーフィンから入手して僕なりにまとめてみた。この数年では、このブログに対する考え方は【 たいぶ 】と言ってよいほど、その考え方や【 水準 】が変わってきたと言ってよい。当初のブログとは、本当に【 日記 】が主となり、それぞれの方々が、その日の出来事等を【 活字だけ 】で発信していたが、2002年の辺りからその【 スタイル 】に大きな変化が現れてきた。

つまり、アフィリエイトの存在で、ブログショップと称する【 ブログ 】が、あるインターネット雑誌の記事により、爆発的にその勢力を伸ばし、【 お金儲け 】を主体とした【 ブログ 】が、どこもかしこも公開されるようになってしまった。現在のブログのスタイルは、どこかしらにアフィリエイトが張ってあり、ちょっとした【 お小遣い程度 】の収入が入ればと思い、皆さん、それぞれ工夫をなさって張っていると思う。

僕は、【 ありふれた安っぽい 】ような、インターネットの雑誌は読んだり買ったりはしないタイプの男である。(笑) どちらかと言えば、超辛口の本音で心の底からグサリと突いて来るような、【 真実の雑誌 】ばかりを読むようにしている。それにはひとつの【 理由がある 】。僕はオンラインの世界には、本当に長い年月にどっぷりと浸かってしまっているせいか、【 情報に踊らされる 】事をうんざりするほど味わってきた。

あるインターネット雑誌に【 その 】情報が出ればそれに飛びつき、結果、自分もその世界に住んでみれば、現実はその雑誌に書いてある通りの結果なんぞ、正直なお話、一回も【 出たことがない 】のが【 真実の姿 】であった。だが、ある人はそれで【 うん百万円 】を稼ぎ、僕は常に【 0円 】の結果をずっと続けながら日々生きていくうちに、いつの日か、その【 感覚 】も惰性になってしまい、どのインターネット関連の雑誌を読んでも、【 その雑誌を買わせる為の情報 】にしか、僕の中ではそんな価値観しかなくなってしまっていた。

そんな中をずっと過ごして行くうちに、僕の友人でアフィリエイトで13万4千円を稼いだ友人が現れてしまった。(苦笑)僕は正直な話、その話を聞いてムキになるほど【 無言の激情 】を覚えてしまったが、僕はその友人にお願いして、【 振り込まれた金額の通帳 】と、オンラインのアフィリエイトの月々のデータ表を友人のパソコンで見せてもらった。だが、僕の思いとは裏腹に、その人が稼いだ金額は正真正銘の真実の【 金額 】であった。

僕は、何かを勘違いしていた気分にさいなまれてしまった。僕はとことんその友人のブログやらホームページを隅々まで見渡し、僕の【 情報発信 】と【 何が違うのか!? 】をよく観察した結果、ひとつの事に気が付いた。このひらめいたヒントをその友人にも【 素朴な質問 】としてぶつけてみたが、その返ってきた答えの【 結果 】は、僕の中で出た【 答え 】に、図星に胸中に突き刺さってしまった。

その答えは、【 テーマ 】は【 絶対ひとつにしぼり 】【 坦々とそれをずっと続ける 】というのが僕の中で見つけた【 答え 】と、友人から発言された【 返答 】であった。そして、【 自己中心的 】な【 ビジュアル 】にするのではなく、【 アクセスしてきた人物の視野 】に立ったアフィリエイトの【 配置 】が、もっとも有効的にクリック数を稼ぎ、そして【 お金 】を【 稼ぐポイント 】だと言う事を知った。

それを知った僕は、その夜、とことんアフィリエイトの配置の変更を行って、どうにかこうにか【 それらしく 】なったが、その【 結果 】が出始めたのが、【 3ヶ月後 】くらいからであった。それが現実なのである。また、ブログの場合、【 更新 】しないと、ちょこちょこと毎回来てくれるリピーターの方も【 飽き 】がきてしまい、いつしかアクセスしてくれなくなってしまう【 現状 】があるので、ブログショップで【 お金 】を稼いでいる方々は【 更新 】には【 特に工夫をこらした要注意 】が必要といえよう。

だから、そのブログの【 主軸となるテーマ 】は、絶対に変更しない方が【 肝要 】だと経験から僕はそう思っている。次に女性の方には特に読んでもらいたい【 文章 】ではあるが、ブログのテーマで【 自身のセックスアピールやお色気 】をテーマに自身の【 (^○^) 】も堂々と公開して発信している女性が最近は急激に増えてきているが、その方々は、特に【 公開後 】の更新内容と、【 相手が男性 】からのアクセスが【 中心 】になるという事をよく【 考え 】、【 オンラインストーカー 】とか、【 嫌味 】【 妬み 】【 虐め 】【 掲示板荒し 】には充分に気をつけてほしいと思う。

残念な事に、先日、ある方にも起こってしまった事件でもあるが、数年前に、上記の【 テーマ 】で公開した女性が、とことん【 オンライン 】で追いかけられ、その女性が書き込む掲示板へ次から次へと【 嫉妬の嵐の文章 】を書き込む馬鹿なストーカーが現れ、結局はその管理人の女性は、自分の【 ブログを緊急停止 】せざる終えなくなってしまった現状が、僕の知り合いの女性の過去にもあるのだが、先日もある方にそれが起こってしまった。大変残念だと言わざる終えない。

僕は、そのような経験をされた女性の方々を、長い年月の間の中で、かなりの数を見て知っている。オンラインの世界は、【 自由 】があり【 気軽な情報発信源 】であるがゆえか、【 自分一人の世界 】の中たけでその【 色気の情報発信 】をしていれば、自分の【 土俵内 】だけの勝負になるのだが、そのアクセスしてきた【 相手 】がもし、その管理人をまかりなりとも好きになり、【 恋愛感情 】を抱いてしまい、その管理人の女性をオンライン上で【 追い掛け回す状態 】に、そのストーカーが【 変貌 】してしまった時には、これは大変な【 管理人の壮絶な戦い 】が始まってしまうのである。

その女性管理人が行く先々で書き込む掲示板の文章を、舐めるようにそのストーカーは観察し、歪んだ視野でその文章を受け取り、結果、【 嫉妬極まりない 】文章を、その管理人の書き込んだ掲示板の【 レス 】としてどんどん【 イジケタ書き込み 】を繰り返し、女性管理人を【 自分の心に近づけようとする行為 】を始めてしまうのである。

これは、僕の知り合いの女性のブログ内から勃発してしまった事件だが、やはり【 お色気系 】のテーマで、情報を発信し、素顔も公開してから一ヵ月後くらいたったある夜から、突然、いたずら電話が一日に何度も始まってしまい、行く末は、真夜中にその女性管理人が部屋の窓のカーテンを開けたら、デジカメを持って真夜中のその女性管理人の自宅の庭先に侵入して、【 激写 】のチャンスを狙っていた中学生の男の子が逮捕された事件も僕は知っているが、本当に女性が公開するブログの【 テーマ 】は、慎重に考えたほうがよいと僕は思う次第である。

また、ブログに【 人気 】が出てくると、色々なトラックバックとか、裏メールが送信されてくるが、その内容は、実に【 オゾマシイ内容 】が沢山あるが、実際の話、僕のブログでもそれは【 裏 】で起きている。その【 やってくれた 】方々には、しっかり【 その挑戦状 】の仕返しは【 強烈かつ残酷 】に僕はお返しをしている。(苦笑) だから、ある意味、僕はかなり【 手ごわい相手 】だと思われているに違いない。(笑)

ブログの情報発信は皆【 自由 】である。【 簡素 】だからこそ、【 テーマ 】は絶対にひとつに絞込み、公開した以上は何が起きても【 持続 】し続ける事が、ブログ公開者(管理人)の【 責務 】であり、その更新を【 待ち続けている 】方がいる限り、【 常に 】【 誠意 】が大切であるという事を、今回の分析ファイルの終止符としたい。
今回も最後まで読んでくれてありがとう。

みんな、ブログを公開すると、色々あるけど、【 めげずに 】共にがんばりましょう! めげてしまって途中で諦めてしまうと、結局はその管理人の【 価値観 】も問われてしまうのです。大人社会の【 責任 】は、常に隣り合わせに僕たちを見つめているのです。本当に怖いよね・・・。
だから、止める時も【 誠意 】が大切だと僕は申し上げたい。

じゃぁ、またね! (^○^)/






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一流の凄さはその切れ味もいっぱい感じちゃう♪
みんな、今回も読みに来てくれて本当にありがとう。

やっと夏らしく昼間は暑くなった。
もう汗でびしょびしょの生活である。共に夏バテ防止をよく考え、栄養や睡眠をしっかり心がけ、この夏を共に謳歌していこうではあ~りませんか♪

それでは、真夏をとうとう感じ始めた、今回の僕のテーマは、最近、よく雑誌や新聞で取り上げられている【 一流 】をテーマに、色々な角度から分析した記事を書きたい。

【 一流 】・・・。なんて響きのイイ~言葉なんだ♪(笑)

最近はこの【 一流 】という言葉は、【 先日の選挙 】の関係で、マスコミ等でよく取り上げられる言葉ではあるが、果たして【 一流 】とは何ぞや? といつも思う。我々の次元から見ると、【 経営の一流 】【 哲学の一流 】【 人生の一流 】等など、色々な分野でその言葉をとりあげ、各種その【 功績 】を称え折々の時期にふさわしい【 一流 】の方々を報道して止まないのが、現代のマスコミの姿であると言っても過言ではないと思う。

一流と呼ばれる方々の経歴を見ても、どの方も大学を出て、地道な努力を称えられ、現在の【 功績や業績 】を評価されて、素晴らしい【 結果 】を現代の社会に残しておられる方々が【 ほとんど 】だと言ってよい。

また、その一流と呼ばれる方々の【 根本 】は、必ず【 その道 】に【 徹している 】方々がほとんどである。まあ、これは【 一流と呼ばれる最低限の条件を満たしている 】方々がほとんどであるのは間違いない事実であるが・・・。そして、その一流と呼ばれる方々には、【 必ず 】と言って良いほど、【 人生の哲学 】が心と生き方の【 基本 】に備わっているのも眼が離せない事実である。

では、我々の【 平凡な次元 】からは、その【 一流 】とは、天と地ほどの差があるほどの雲泥の差や、膨大な道のりになってしまうのだろうか?

と、僕はいつも素朴な疑問として思ってしまう事がある。人間の生き方は、本当にそれぞれが千差万別で、考え方や育ちや知性、そして認識なども全然違うが、【 一流を志す 】方々の【 人生 】には、【 必ず 】すべての人に【 ある共通点 】があるのは確かな【 事実 】なのである。

まず、一流と呼ばれる方々の【 共通する分析項目 】を記載したいと思う。

1・生まれた家庭が大半の人が【 貧乏な家庭 】が多い。
2・苦労の人生が多く、けして一筋縄ではいかない人生ばかりを歩んでいる。
3・努力家が多い。
4・学歴等は関係なく、必ず人生の【 交差点 】で、【 悟る何か 】に必ず遭遇している。
5・自分の心を律し強靭に【 正す 】精神を人生経験から必ず体得している。
6・必ず、人生の指針たる【 何らかの哲学 】を備えている。
7・考え方が少々【 非凡 】な方々が多く、その多くは楽観主義者が多い。
8・生き方で【 惰性を排する 】生き方が多い。
9・時間をうまく活用する方々が多く、相手と約束した時間には必ず【 遅れる 】事がなく、現場には遅くても必ず10~15分前には到着している方々がほとんどである。
10・各々の分野において、所謂、【 その道のプロ 】が多い。
11・常に【 誠意 】【 謙虚 】【 愚直 】な方々がほとんどである。
12・一流と呼ばれる方々の精神には、いつも【 固い決意 】がある。
13・どんな状況でも、冷静な眼で迅速かつ機敏に【 全体感 】を常に把握していて、その【 真理 】を明確に【 確信 】として体得している。
14・自分にも【 厳しく 】、人には【 厳愛の心 】で接する方が多い。
15・何故か、A型が多い。(笑)
16・恋愛関係においても、【 溺れる 】人が非常に少ない。
17・人との応対にしても、すぐに【 反応 】している人がほとんどである。
18・なぜか読書家が多い。
19・意外な現実だが、【 母親(実母) 】を亡くしている人が多い。
20・よく研究熱心で、自立心が旺盛であり、結果を必ず出す人が多い。
21・すべてにおいて【 共通 】しているが、どの状況でも本人自身が相手に対して【 誹謗・中傷 】をする人がすくない。
22・人との【 ある一定の距離 】を心の中において、いつも【 自分を見つめている 】人がほとんどだ。
23・過去の【 教訓 】を生かし、後生は同じあやまちを犯さない人が多い。
24・【 挫折 】が多い分、逆境に負けない精神の人が多い。
25・私利私欲が少なく、いつも【 根本 】に【 社会貢献 】が常に心に描かれている。


とまあ、ざっと【 僕の人生 】から【 経験 】した事を書き綴ってみたが、この上記にあげた項目は、図書館で【 過去に学んだ 】事や、僕自身が【 実感 】した事から記載してみた。

ここまで、【 一流 】と呼べる方々の【 条件 】を書けるまでに20年という長い年月を僕は要したが(笑)、上記の分析項目においても出来るだけ解りやすく、そして細かく砕いて表現をしてみたが、このブログを読まれた方々は、いくつ【 自分 】にその【 項目 】が当てはまっただろうか?

しかし、厳格にここで記載をしたいと思っているが、上記の項目は【 あくまでも 】【 基本項目 】だと申し上げたい。実際には、【 精神性 】の次元には、この【 一流 】と呼ばれる方々の精神分析は、ものすごい膨大な数になっているのが、現代の【 研究結果 】がある。

だが、ここで僕はひとつ皆さんに述べたい事がある。(笑)

じゃ、我々は【 一流への道 】への【 路線 】から、とうに外れてしまっていて、【 今から目指す 】のには所詮遅すぎるのか!?

と言う事を僕は言いたいのである。
上記の項目に属する方々の【 研鑚や業績の称え 】は、あくまでもその方々の【 長い人生のスパン 】から【 凝視 】したものであり、その【 人生の断面 】は、どの雑誌、週刊誌、専門書においても、その事実は書かれていないのが現実の【 実態 】なのである。

また、上記に記した【 一流の項目 】は、あくまでも【 究極の一流 】の方々の基本項目なので、それらを除外した【 一流もどき 】の人は、うん億万人と存在しているのが現代の世の中の【 実像 】なのである。

【 本当の一流 】を体得した人の人生は、本当に【 苦難 】の連続であり、実際には、【 その評価の判断 】が下されるまでには、他人から【 誹謗・中傷 】されているのが【 真実の姿 】だと言う事をここで明記しておきたいと思っている。

しかし僕は、20代から40代に突入するまで、色々な角度から【 自分を見つめ 】思ってきた事ではあるが、【 一流 】といえば、【 主婦 】の方々は、【 すでに一流 】だと思っている。一日の流れを考えてみたって、上記の分析項目に【 当てはまる方々 】は、けっこう【 いる 】と僕は確信している。

だが、【 男性 】に関しては、なかなかその事実も少なく、むしろ、【 挑戦中 】の方々がほとんどだと言っても過言ではないだろう・・・。(笑)

だが、その【 究極の一流 】にせよ、キワドイ【 一流 】の方々にせよ、その【 一流 】と判断して、その【 評価 】を下すのは、あくまでも、【 人の評価 】であるのは、間違いない事実なのである。また、これは面白い物で、その一流と判断した方々の、【 判断を下した周囲の方々 】は、【 では超一流なのか!? 】という、素朴な疑問を僕は抱いてしまうが(笑)、【 一流の人物 】とみなす【 基準や水準 】は、よく考えると、その【 ボーダーライン 】は、現実には【 ない 】と僕は言いたい。

その【 一流のボーダーライン 】を考え出した、本当の【 正体 】は、自分には【 なく 】、そして、【 誰もマネが出来ない 】ような、【 基準 】が、【 一流 】という【 ボーダーライン 】を作り出しているだけで、現実には、【 ただ、凄い 】と言うのが、【 評価の正体 】なのである。

まあ、ずず・・・っと、書いてはみたが、確かに【 一流 】の方々の【 闘い 】は素晴らしく、そして大変極まりない生活であるのは確かだ・・・。

だが、僕はこの【 一流 】という言葉の中に、【 人間としての見えない死角 】があるとすれば、それは【 一般人との差別 】を意味して止まないものだと僕は思っている。その分野のそれぞれに【 一流 】と呼ばれる【 人物 】は存在するが、本当の【 人間としての一流とは・・・ 】、【 自分の心に嘘をつかないで生きる 】という、簡単にして難しい事を、【 坦々と日々 】やり遂げている、その人の姿こそが【 すでに一流なのだ 】と僕は申し上げ、今回の分析ファイルの終止符としたい。

旅行もレジャーもすべて、おじゃんになってしまったが、僕は、パソコンの前にいる時が、【 何よりも幸せ 】だと言うことは、中止になった本日、新たにわかった次第である。(笑)

今回も最後まで読んでくれて、本当にありがとう。

じゃぁ、またね! (^○^)/





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